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Bernadette
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 着ていたブレザーやブラウスを脱ぐと、暖房のぬるい空気が私の体を包み込む。狭いフィッティングルームには、キャミソール姿の私が鏡に映っていた。途端恥ずかしくなって、急いで壁に掛かっていた服を着る。少し乱暴に外してしまったから、ハンガーが落ちてからん、と音をたてた。
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ、です」
 カーテン越しに聞かれて慌てて答えると、そう、と短い返事がきた。まほうつかいではなく、女の人の。たぶん、彼はこのショッピングセンターのどこかにいる。十中八九、ココアが出てくるようなお店に。
 買ったばかりのニットワンピースと柔らかいクリーム色のブラウスを重ねて、厚いタイツを履いた。それに、今まで着ていた紺色のピーコートと黒いマフラーを身につけて着替えは終わりだ。着ていた服は買い物袋に押し込んだ。ずっと着ていた学校の制服は、少し、重たい。
 カーテンをそっと開けると、女の人がぼんやりと立っていた。私が出てきたことに気付くと、しゃがみこんでブーツを片足ずつ差し出してくれた。
「どうぞ、お嬢さん」
 まるで絵本の中の王子様のようだ。でも恥ずかしさをあまり感じなかったのは、やっぱり性別のせいだろうか。もしもこれをあのまほうつかいにされたら、私は固まってしまうに違いない。
 真新しい編み上げブーツは、今まで履いていたストラップシューズに比べれば断然足下が暖かい。底が少し厚いのは、滑りにくいように加工しているかららしい。これから雪が降るようなところに行くなら、そっちの方が良いだろうと言ったのは、目の前で私を頭のてっぺんから爪先までじっと見ている女の人だった。
「きついところはない?」
「だいじょうぶ、です」
「なら良かった。服も似合ってるみたいだし」
 冬の寒さが厳しくなり始めて、まほうつかいは私の冬服を買おう、と言い出した。別に私は学校の制服でも十分だったのだけれど、これからもっと寒いところに行く時もあるだろうから、とまほうつかいは私の手を取ってショッピングセンターに連れて行った。
 そこで会ったのが、彼の知り合いの、魔女、だった。
「じゃあ、彼のところに戻ろうか」
 魔女は私の荷物を持ったまま、軽い足取りで歩き始めた。私もその後ろに続く。履き慣れないブーツだけれど、歩き心地は悪くない。もっと歩いたら慣れてくるだろう。緩んだマフラーをちょっと巻き直し、ぼさぼさの髪の毛を手櫛で梳く。魔女はちらりとこちらを見て、少し笑ったようだった。
「髪の毛、少し整えようか。おいで」
 どこからか取り出した櫛を軽く振って、魔女はすぐ近くにあったベンチに座った。ぽんぽん、とその隣を手のひらで叩いたので私も座る。魔女は慣れた手つきで私の姿勢を正し、髪の毛を梳き始めた。誰かに髪の毛を梳いてもらうなんて、ちょっとだけ懐かしい感覚だ。近くに寄ると、魔女からは少し甘い香りがした。
 まほうつかいは他の魔法使いや魔女に追われているみたいだけれども、この魔女はどうやら彼を追うつもりはないらしかった。むしろ追われていることをネタに爆笑するくらいで、彼は不機嫌なのか困っているのかすごく微妙な顔をしていた。彼は、自分が他の魔法使い達に追われる理由がさっぱり分からない。なのに彼が追われていることは魔法使い達の間では有名なのだと言っていた。
 あいにくあんたを追って遊ぶほど暇じゃないんでね、と言いつつ私の面倒を見てくれているこの魔女は、身長が高くて体はすらりとしている。中性的、と言うんだろうか。長いチョコレート色の髪の毛をハーフアップにしていて、目は穏やかな薄紫だ。そう言えば、この甘い匂いは藤の花の匂いに似ている気もする。
 魔女に髪の毛をくい、と引かれ、体が傾いだ。ちょっと我慢してね、と言われ、振り向きそうになっていた体を慌てて前に戻す。どうやら、髪の毛を結ってくれるらしい。
「お嬢さん、彼と世界中旅してるんだっけ」
「はい、二ヶ月くらい」
「二ヶ月か。そろそろ慣れてきた?」
「はい。このまえ、フランスに行ってきて、エッフェル塔を見てきたんです」
 魔女の手が優しく私の髪の毛を撫でる。
「楽しそうで何よりだ。でも、無理はしないように」
「無理?」
「君は女の子だからね。彼とは性別が違うわけだし、困ることもあるだろう」
 これ持って、と櫛を渡されたので受け取った。よく学校の女の子達が持ってるような、プラスチックのカラフルな櫛ではなく、艶のある黒い櫛だった。真っ黒だけれど模様が彫り込まれていてとても綺麗だ。
「何はともあれ、我慢しないようにな」
 強く髪の毛が引っ張られたけれど痛くはない。多分、ヘアゴムか何かで髪の毛を縛っているんだろう。
「そんなにがまん、してないですよ」
「そうか。なら、君はもっとわがままになって良い」
「わがままに?」
「わがままに。あれが欲しいこれが欲しいあそこに行きたいこれがしたい。そういうことを素直に言ってしまって良い、ということ」
 首を傾げると、ひんやりとした手が元の位置に戻す。そう言えばあの人の手も冷たかった。魔法使いはみんな手が冷たいんだろうか。




ボツ!!!!!!
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よくあるラノベの主人公みたいな感じの人。
ただし寄ってくるのは人外ばかり。


・ツンデレの姉とクーデレの弟
・ヤンデレ気質
・ゆるゆる系…酒好きそう
・年寄り…蛇とか狐とか
・見つけた途端暴力ふるってくる

 始めに言っておこう。私は数学が大の苦手である。
 大の苦手というのはとてもソフトな表現であると我ながら思う。ではハードな表現をするとどうなるかというと、「三食すべて大嫌いなピーマン丸かじりにするのと数学を勉強するのだったらどっちが良い?」と聞かれて、一分くらい悩んでピーマンを選ぶくらいには、数学が嫌いだ。憎たらしい。かわいげがない。なんで数字と文字を一緒に使うのかが理解できない。点Pが1秒に1cmずつ動く原理が分からない。なんなのおまえ点のくせに動くとかアニメーションなのそれともなんかよく分かんない現象なのほんとなんなの?
 そんなことを目の前のうら若き教師に切々と訴えたら、ものすごく深いため息をついて某アニメの主人公の父親のポーズをとられた。解せぬ。
 大切なことは二度言っておくと良い。なので私は繰り返す。
「先生、私は数学が大嫌いです!」
「君さ、さっきは大の苦手って言ったじゃん。なんか変わってるよ? より酷いランクになってるよ?」
 黒縁眼鏡の向こう側の目が潤んでいるように見えたのはたぶん私の気のせいではないだろう。案外涙腺が緩いのである、この先生。もしくは生徒に自分の担当教科を心の底からこき下ろされたのがその豆腐のようにもろい心に響いてしまったのか。こんなに打たれ弱くてこの先この先生生き残れるのだろうかと人事ながら心配になってしまうのであった。
 そう言うわけで、数学の教科書を手にしながら私は先生と向き合うのだが、そもそも教科書の表紙にかっこよくデザインされた数式を見ただけでもうやる気が失せていることを言うべきか言うまいか。言ったら今度こそ先生が号泣しそうである。ちなみに今は放課後で、ここは部活顧問達がこぞって姿を消した職員室だが、当然部活顧問でない先生方がいらっしゃるので、泣いたら白い目で見られること請け合い。生徒に泣かされる新任教師いえーい。あ、別に泣かせた私の名前は広まらんでよろしい。私はいたってふつうの、善良な生徒ですのであしからず。
「先生、私、数学が大嫌いなんですよ!」
「それはもう分かったから。もう私のね、精神をね、がりがり削るのは止めてくれないかな? 先生数学担当なんだ。君にそれを教えるのが仕事だから仕方ないんだ」
「あきらめも肝心ですよ」
「いやそこであきらめたらだめだから。私職務放棄なっちゃう」
 なかなかしぶとい先生だった。別にやる気のない生徒一人ぐらい放っておいても問題ないのではなかろうか。だというのにわざわざ個人的に補習してくれるあたり生真面目な人である。
 某アニメの主人公の父親のポーズから復活した先生が、自分のデスクの上をわちゃわちゃと片付ける。教師って損な役回りだよなーと積み上げられた生徒の提出ノートやらカラフルな判子やらを見て思った。そして私はそのノートをうっかり出し忘れたことに気付いたけど、知らないふりをすることに決めた。
「とにかく、君には少しでも良いから数学の点数をだな」
 咳払い一つして、授業に使っているらしいノートとペンを取り出しつつ先生が向き合った。いよいよ私のやる気が減退する。先生がぱらぱらめくるノートにびっしりと書かれた数式を見ただけでもう逃げ出したくなるのだから、私の数学嫌いは根が深い。
「それじゃあどこからやろうか」
「全部分かりません!」
「……」
 無言で眼鏡を押し上げた先生がものすごく悲痛な顔をしたけれど、やっぱり知らないふりである。頑張れ若手教師。私決してあなたのこと嫌いじゃないよ! ただあなたの教える教科が嫌いなだけであってうんぬんかんぬん。
 まあ、あれである。
「先生先生、がんばってください」
「君が頑張るんだよ」
 ため息をつくと幸せが逃げるらしいので、先生の幸せは逃げっぱなしだ。え、逃がしている原因はお前じゃないのかって? いやいやそんなー私じゃないですよー。強いて言えば一生懸命職務に励む先生が数学教諭であることが運の尽きだったというくらいで。そして何故か、先生の担当するクラスは数学苦手な連中ばっかりだったという程度。
 でもまあ我々、決して先生のこと嫌いではないので。数学を親の仇のように憎む連中にも必死に教えてくれる姿はとても良いと思います。数学は大っ嫌いだけども。そうじゃなければわざわざ放課後の補習なんて参加しないだろう。
 頑張れ、先生。きっとそう言ったら、君が頑張れともう一度言われてしまうんだろうけど。
 足下の鞄から筆記用具を取り出しながら、やはり数学のノート提出をするべきかと一瞬考えて、
「まあ、良いか」
 とりあえず、気を持ち直した先生に教えを請う体勢になった。
「遠野さんって、彼女さんいたんですね」
「へ」
「だから、彼女さん。しかも料理上手の」
「いや、何の話。まったく見えないんだが」
「だってほら、お弁当」
 同僚が指したのは、イツキのデスクに広げられた弁当だった。ノートパソコンが開かれ紙が散らばったデスクの僅かなスペースに、青い弁当包みを敷き、その上におかずが入った小さめのタッパーと、おにぎりが三個、ちょこんと載っている。小振りのおにぎりは作った者の手の小ささを反映しているが、形はきれいな三角形だ。わざわざ三つそれぞれで中の具も違うのだから、手が込んでいる。おかずも彩り豊かで、特に卵焼きは絶品だとイツキもひそかに思っている。
 その、弁当である。
「遠野さん、今までコンビニとか食堂だったじゃないですか。なのにいきなり弁当ってことは、作ってくれるような人がいるんでしょう?」
「いや、別に恋人というわけではなく」
「じゃあお嫁さんですか?」
「そんな訳がない」
「だったら遠野さんの手作りですかそれ?」
 それも違う。同僚の言う通り、遠野は今まで手作り弁当を持ってきたことなどなかった。一人暮らしは長いが、彼は決して料理が上手い訳ではない。むしろ何度練習しても腕が上がらず、結局上げる努力を放棄したほどには、壊滅的な料理の腕前を誇っていた。
 その男がいきなり弁当、しかも手作りである。確かに不審の目で見られても文句は言えないだろう。
 おにぎりを片手に、イツキは苦笑した。
「そうじゃない。これは……あれだ、居候が作ってくれている」
「居候?」
 さらに不思議そうな顔をされたが、イツキはそれ以上言及しなかった。代わりにおにぎりを一口かじる。中身はおかかだった。ちょうど良い塩気に柔らかな白米と、香ばしいのりの風味が優しく口に広がる。毎日イツキよりも早く起きて朝食と弁当の準備をしてくれる居候を思い出した。良かったな、メイ、お前は良い嫁さんになれるぞ。気付けば一ヶ月以上、イツキの部屋に居着いてしまった少女の笑顔が脳裏に浮かんだ。


 イツキの住む賃貸マンションは洋室が二つとダイニングが一つの2LDKだ。一人で住むには1Kでも十分だったが、諸々の条件が重なった結果、予定よりも広い部屋を借りることになった。そもそも公務員宿舎の一つや二つあるだろうと思っていたのだが、異能研究課は公的には存在しないことになっている組織だ。そんな組織のために宿舎があるわけなどなく、結局自分で家を探す羽目になった。
 家賃補助のおかげで広い部屋を借りることに不安はなかったが、いざ住んでみると広すぎて逆に居心地が悪い、となんとも間の抜けた事態に陥ってしまったのは記憶に新しい。それが解消したのは、図らずも居候が一人転がり込んできたおかげだ。
 その居候はイツキがインターホンを鳴らすと、ものの数秒でドアを開けに来た。
「おかえりなさい、イツキさん」
 そう満面の笑顔で迎えられたものだから、昼に同僚から言われた「良いお嫁さん」発言が一瞬頭の片隅をよぎった。メイという名の少女はエプロン姿で、長い茶髪を布製のヘアゴム(シュシュというらしい)で緩く一つに結っていた。料理中だったらしい、中からホワイトソースの香りが漂ってくる。今日の夕食はシチューか何かなのだろう。
「……ただいま」
 一拍遅れて返事をした。どうやらイツキ自身が思っているよりも、昼の会話が尾を引いているらしかった。まるで新婚夫婦のようだと更にふざけたことを考えつつ、表面はいつも通りを装って中に入る。鍵を閉め、チェーンをかけている間にメイはぱたぱたとキッチンに戻っていった。
 イツキは真っ先に自分の部屋に入ると、仕事鞄をデスクの上に置いた。鞄の中から空になった弁当箱と、携帯電話を取り出す。部屋着に着替え、弁当箱と携帯電話を抱えて部屋から出ると、イツキは自分の部屋に鍵をかけた。仕事が仕事だ、家に資料やデータを持ってくることはないが、それでも用心するに越したことはない。メイにも決して入らないように言っているおかげで、イツキの自室だけは彼女の手が及んでおらず、乱雑に物が散らばり部屋の隅には埃が溜まっていた。
 掃除するべきだろうかとも考えたが結局面倒で、イツキはそのまま弁当箱を出しにキッチンに入った。予想通りシチューだったようで、メイが両手に深皿を持ってテーブルに運んでいた。
「あ、お弁当。足りました?」
「足りたが、おにぎりはもう一つ多くても良い」
「分かりました、じゃ、次から増やしますね」
 ここで美味しかっただのありがとうだの言えば良かったのだろうが、幸か不幸かそこまで出来る男ではなかったので、イツキは弁当包みを解いて弁当箱を流し台に置くだけに留めた。ついでに、二人分のフォークやスプーンの入ったカトラリーとグラスをテーブルに運ぶ。イツキと比べればだいぶ小柄な少女はくるくると忙しげに動いていた。
 テーブルの向かい側に置かれたテレビをなんとはなしに眺めていると、キャスターが深刻そうな顔で通り魔事件が起こっていると話し始めた。
「通り魔?」
「らしい。老若男女問わず、火をつけるそうだ。被害者はほぼ全員死んでいる」
「火って」
 サラダとドレッシングを持ってきた少女が絶句する。テーブルには二人分の食事が用意され、あとは二人が座るだけだ。少女が落とさないよう両手からそっとサラダとドレッシングを取り上げテーブルに置く。
 眉を顰めた少女は糸が切れた人形のようにすとんと座った。
「ふつう、通り魔って刃物で切りつけるとかじゃないですか」
「そうだな。火をつけるなんて珍しい」
「ひどい話」
 わざわざ人に火をつけて殺すということ自体異常だ。人は燃えにくい。それでうっかり殺せなければ、自分の姿を見られて捜査の手がかりを落としていくことになる。だがそのデメリットがありながら通り魔の犯行は続いているという。そして現実には、被害者のほとんどが死に目撃情報は皆無に等しい。
「……そうだな」
 打った相槌はずいぶんと空々しく響いた。
 深刻な顔で事件の異常性を訴える言葉は、打った相槌以上に虚しいものでしかない。なぜなら彼らは事件を起こしている真犯人の正体など何も知らない。そしてイツキは、それを知っている。犯人の名前や姿は分からずとも、正体だけは分かるのだ。他でもない、イツキが所属する異能研究課が検死と現場検証を行い結論を出した。ーー犯人は異能者だ。
 熱を操る異能か、パイロキネシスか。どちらにしろ、異能者の犯行だという見解が既に異能研究課と異能捜査課で一致している。イツキが分析班として現場に駆り出されたのは一昨日のことだ。焦げたコンクリートと焼けた匂いが記憶からよみがえりそうになり、慌ててそれを打ち消した。食事時に人が死んだ現場のことなど思い出したくもない。
 浮かない顔の少女を見やる。自分のことではないだろうに、その顔には暗い影が落ちていた。なまじ真実を知っているだけに、適当なことを言って慰めることもは出来なかった。無責任な言葉で励ましても、少女の表情が晴れることはないだろう。
 お互い無言のままスプーンとフォークを手に取り、黙々と食事を始める。温かな湯気を立てるシチューも、特製ドレッシングのかかったサラダも、何もかもすべておいしいというのに、流れ続ける報道が耳に響いて味覚を阻害する。テレビのリモコンはあいにく手元に無かった。
 メイの、食事をとる手が小さく震えていた。
「……弁当」
 気付けばぼそりと呟いていた。
「……はい?」
「いや、弁当なんだが。卵焼き。美味かった」
 我ながらなんと幼稚な言い方だと笑い転げたくなったが、表情は真剣そのものだったに違いない。決して目つきが良いとは言えないイツキの真顔はあまり良い印象がもたれるものではないが、メイは真っ正面からそれに向き合い、大きく瞬きをした。いわく、予想外。このタイミングでそれを言うか、と自分で自分を殴りたくなったが、一度発した声がまさかまた喉まで戻ってくるはずもない。
 フォークに突き刺したレタスとツナを絡めて咀嚼する。油をほとんど使わないドレッシングはするりと舌を滑る。
 もう一度大きく瞬きをして、メイは口元を綻ばせた。
「良かった。だってイツキさん、何も言わないから。口に合わなかったりしてないかなって心配してたんです」
「別に、食えなかったら食えないと言うし」
「えへへ、良かったです。卵焼き、自分でもうまくできたなって思ってたので」
 誇らしげに少しばかり胸を張り、少女は続ける。
「でも、苦手なものがあったら遠慮なく言ってくださいね」
「今のところ、特には。だいたい何でも美味い」
「ほんとに?」
「嘘を言ってどうするんだ。美味いから安心しろ」
 素直に答えると、メイは心の底から幸せそうに微笑んだ。なんとか少女の気を逸らせることに成功したらしい。相変わらず真顔のまま、内心では安堵のため息をついていた。
 おそらく明日には、イツキはまたこの通り魔の犯人を追いつめるために仕事をするだろう。直接手を下すわけではないが、その退路を徐々に奪い、網を狭めていくのが研究者たるイツキの役目だ。それが成功すれば、この少女の表情も晴れるのかもしれない。自分の仕事が人と直接繋がっているという実感は重たく、だが不思議と嫌な物だとは思わなかった。
 報道は終わり、バラエティー番組に変わっていた。少女に薦められ、イツキはシチューを一掬い、口にした。



遠野イツキ…料理の腕は壊滅的。好き嫌いはあまりない。
羽根川メイ…料理上手の家事万能。子供の頃の夢はお嫁さんだった。
 音楽プレーヤーの電源を入れ、愛して止まない音楽をヘッドフォンに流す。脳を揺らす重いベースの音と、遠くから響き近づいてくるようなシンセサイザー。それだけで満たされた気分になるのだからやすいものだとキリトは思う。我ながら単純だが、単純だからこそ楽で良い。
 最初はビルの屋上へ。人気のない通りから、少し離れた六階建ての雑居ビルの屋上を見据える。特に準備など必要ない。ただキリトは思うだけだ、「あの屋上へ」。
 そして次の瞬間には少年の体は薄汚れた地面から、黒ずんだコンクリートへ移動する。一瞬で変わった景色に、脳がついていけず眩暈がした。世界が傾く。その中で目に映ったのは、更に高いビルの屋上だ。キリトはまた思う。それだけで体は勝手に移動する。
 およそ30秒のイントロの後、ボーカルが入る。合わせて口ずさんだ時には移動は終わっていた。更に高いビルの屋上は、ネオンの光が少しだけ遠い。パーカーのフードが風に煽られ落ちそうになるのを手で押さえた。頬をなぶる風は冬の冷たさをしている。思わず身震いすれば、ひゅう、と一際強く風が吹いた。
 頬を掠めたのは、真っ白な紙飛行機だった。
 振り返ればそこに、白衣を着た男がいた。まだ30歳にはなっていないだろう、長身の男は奇妙な体勢でキリトをじっと見つめていた。あるいは睨んでいるのか、男の目つきは鋭い。シャツにネクタイを締め、その上に更にネームプレートらしき物をぶらさげていたが、あいにく夕方を過ぎた頃合いで、何と書いているのかまでは読めなかった。
 研究者だろうか、だとすれば、何故こんな時間にこんなところにいるのだろうか。冷静に考える一方で、今はどんな状況なのか、自分は何をするべきなのか、キリトに判断する余裕はなかった。自分が思っていたよりも、突然の事態に弱いらしい。空間移動で遊ぶところを見られるなど、そしてその可能性を考えていなかったなど、あまりに迂闊だった。
 だが後悔したところで見られた事実は変わらない。殺してでも口封じするべきだろうか、と、やはり妙なほど冷静な頭が思いつく。いやだがおれには無理だ、と冷静ではない自分が否定する。
 ヘッドフォンから流れる音楽は、気怠い間奏に入る。男の白衣が風に靡く。
「……あー、っと」
 混乱からの復活は、男の方が早かった。キリトが唐突に現れたところに偶然居合わせてしまった男は、その癖のある黒髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。あるいは男も未だに混乱から回復していないのか、どちらにしろ人の心は読めないキリトに分かるはずもなかった。
 男の長い指が、キリトの背後を差す。
「その紙飛行機」
「……うん」
「俺のなんだが」
「……」
 反射的に身を翻し、紙飛行機を拾い上げた。よくよく見ればだいぶ大きな紙飛行機で、紙にはグラフらしきものが印刷されていた。それにペンか何かで文字や数式が書き込まれているのも見えたが、あいにくキリトには理解できない類のものだった。どちらにしろ、男の手遊びに作られたものだと言うことはよく分かった。
 それを手にもう一度、男に向き直る。紙飛行機は渡さない。
「あのさ、あんた、見たよな」
「お前がいきなり現れたのを、か?」
「そう、それ」
 やはり、誤魔化しようはなかった。さてどうするか、と算段を巡らせる背中に冷や汗が落ちる。それでも男から目を離さなかったのは警戒心からだ。目をそらした瞬間に何かアクションを取られれば、決して戦闘向きではないキリトに好ましくない状況に陥ることは火を見ずとも明らかだった。
 男の赤紫の目に、剣呑な光が宿るのを見た。
「おまえ、異能者だな」
「……なんだ、あんた、異能者知ってんの」
 そしてその言葉が、キリトの中ですべてを繋げた。異能者を知っている、白衣を着た、研究者然とした男。いつか聞いたことがある、異能者を研究する機関がある、と。
「あんた、おれを捕まえるつもり?」
 男は答えない。ただ険しい表情でキリトを睨むだけだ。だが沈黙が肯定だ。キリトはじり、と後ろに下がる。フェンスが近い。
「だったらどうする?」
 いやに静かに男の声が響いた。
 キリトは笑う。
「逃げるだけだ」
 長くも短い間奏が終わり、爆発するように歌声が響く。男が声を発するより先に、キリトは身を翻してフェンスに飛びついた。高いフェンスは少年の体重を受けてぎしりと軋む。手が汗ばんでいた。男が何か叫ぶ。そう言えば紙飛行機を手にしたままだった、と気付いてそれを、男の方へ投げつけた。思い切り振り上げられた紙飛行機は、優雅な軌跡を描くことなく無様にコンクリートに落ちる。
 男の手がキリトのスニーカーを掴もうとして空を切る。笑ったまま、キリトはフェンスの外側に体を傾け、重力に逆らわず落ちていく。
 男の鋭い目が大きく見開かれた。それを見て何があったわけでもないのにざまあ見ろ、と思う。首から提げたネームプレートに、「遠野イツキ」と書かれているのがはっきり見えた。
 耳を打つのは風の音と大きく脈打つ心臓の音、そしてシンセサイザーの音だけだ。落ちる、その最中、周囲のすべてがスローモーションに見えた。
 ずっと遠くに、高いビルがそびえ立っている。
 あとはただ、キリトは念じるだけで良い、「あの屋上へ」。それだけで体は勝手に移動する。
 エレクトロニカが終わる瞬間には、キリトの体は、あの屋上へ辿り着いている。




新城キリト…過激派、覚醒したばかりの異能者、髪は黒、目は緑、空間移動と音を操る異能、現状に不満はない
・高校生、17歳くらい。身長は170cm前後。「おれ」「あんた」「お前」など。口調は乱暴ではないが丁寧でもない。
・過激派ではあるが、戦闘能力がほとんどないため自分から戦うことは少ない。
・「自分の視界の範囲の場所」に「自分と自分が手にする物」を移動させることが出来る。あまり遠すぎたり、連続して移動しようとすると頭が痛む。また、手にしていても人を移動させることは出来ない。
・音を操る異能は現段階ではほとんど使えない。自分の耳に入る音量を調節する程度。
・パーカーとジーンズ、スニーカー。ヘッドフォンとプレーヤーは欠かせない。
・使えるものなら使った方が良い、という考え方。よく空間移動で遊ぶ。異能に目覚めたことを後悔も何もしておらず、むしろ人と違うことが出来ることを楽しく思っている。
・同じ異能者を厳しく取り締まる異捜に良い感情を抱いていないが、戦っても負けることは目に見えているので、結果としてあまり過激派らしくない。


遠野イツキ…警視庁異能研究課、異能者、髪は黒、目は赤紫、風を操る異能、最近所属した
・28歳、研究員。化学分析が専門。身長は180cm前後。「俺」「おまえ」「君」など。目上には丁寧語。あまり崩した言葉遣いはしない。
・純血の異能だが、いまいち使い方が分かっておらず風の流れを操る程度しか出来ていない。紙飛行機を飛ばすときに使う程度。手癖が悪く、手持ち無沙汰だとペンを回したり紙飛行機を大量生産する。そして異能でより遠くに飛ばされる。なのであまり戦闘向きではない。
・シャツにネクタイ、スラックス、その上に白衣。首から身分証明証などを入れたケースをぶら下げている。
・技術発展や事実解明のためならある程度の犠牲は仕方ない、という考え方。異研の非人道的な実験などにもあまり嫌悪感は抱いていない。なお、一つのことに集中すると周りが見えにくくなるタイプ。
・一方で自分の異能とははっきりと向き合っていないため、その態度はあいまい。実験対象の異能者と、自分のような異能持ちの研究者は違うのだと線引きをしているが、ではどう違うのかと問われれば答えられない。だからあえて考えないようにしている。
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