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Bernadette
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「遠野さんって、彼女さんいたんですね」
「へ」
「だから、彼女さん。しかも料理上手の」
「いや、何の話。まったく見えないんだが」
「だってほら、お弁当」
 同僚が指したのは、イツキのデスクに広げられた弁当だった。ノートパソコンが開かれ紙が散らばったデスクの僅かなスペースに、青い弁当包みを敷き、その上におかずが入った小さめのタッパーと、おにぎりが三個、ちょこんと載っている。小振りのおにぎりは作った者の手の小ささを反映しているが、形はきれいな三角形だ。わざわざ三つそれぞれで中の具も違うのだから、手が込んでいる。おかずも彩り豊かで、特に卵焼きは絶品だとイツキもひそかに思っている。
 その、弁当である。
「遠野さん、今までコンビニとか食堂だったじゃないですか。なのにいきなり弁当ってことは、作ってくれるような人がいるんでしょう?」
「いや、別に恋人というわけではなく」
「じゃあお嫁さんですか?」
「そんな訳がない」
「だったら遠野さんの手作りですかそれ?」
 それも違う。同僚の言う通り、遠野は今まで手作り弁当を持ってきたことなどなかった。一人暮らしは長いが、彼は決して料理が上手い訳ではない。むしろ何度練習しても腕が上がらず、結局上げる努力を放棄したほどには、壊滅的な料理の腕前を誇っていた。
 その男がいきなり弁当、しかも手作りである。確かに不審の目で見られても文句は言えないだろう。
 おにぎりを片手に、イツキは苦笑した。
「そうじゃない。これは……あれだ、居候が作ってくれている」
「居候?」
 さらに不思議そうな顔をされたが、イツキはそれ以上言及しなかった。代わりにおにぎりを一口かじる。中身はおかかだった。ちょうど良い塩気に柔らかな白米と、香ばしいのりの風味が優しく口に広がる。毎日イツキよりも早く起きて朝食と弁当の準備をしてくれる居候を思い出した。良かったな、メイ、お前は良い嫁さんになれるぞ。気付けば一ヶ月以上、イツキの部屋に居着いてしまった少女の笑顔が脳裏に浮かんだ。


 イツキの住む賃貸マンションは洋室が二つとダイニングが一つの2LDKだ。一人で住むには1Kでも十分だったが、諸々の条件が重なった結果、予定よりも広い部屋を借りることになった。そもそも公務員宿舎の一つや二つあるだろうと思っていたのだが、異能研究課は公的には存在しないことになっている組織だ。そんな組織のために宿舎があるわけなどなく、結局自分で家を探す羽目になった。
 家賃補助のおかげで広い部屋を借りることに不安はなかったが、いざ住んでみると広すぎて逆に居心地が悪い、となんとも間の抜けた事態に陥ってしまったのは記憶に新しい。それが解消したのは、図らずも居候が一人転がり込んできたおかげだ。
 その居候はイツキがインターホンを鳴らすと、ものの数秒でドアを開けに来た。
「おかえりなさい、イツキさん」
 そう満面の笑顔で迎えられたものだから、昼に同僚から言われた「良いお嫁さん」発言が一瞬頭の片隅をよぎった。メイという名の少女はエプロン姿で、長い茶髪を布製のヘアゴム(シュシュというらしい)で緩く一つに結っていた。料理中だったらしい、中からホワイトソースの香りが漂ってくる。今日の夕食はシチューか何かなのだろう。
「……ただいま」
 一拍遅れて返事をした。どうやらイツキ自身が思っているよりも、昼の会話が尾を引いているらしかった。まるで新婚夫婦のようだと更にふざけたことを考えつつ、表面はいつも通りを装って中に入る。鍵を閉め、チェーンをかけている間にメイはぱたぱたとキッチンに戻っていった。
 イツキは真っ先に自分の部屋に入ると、仕事鞄をデスクの上に置いた。鞄の中から空になった弁当箱と、携帯電話を取り出す。部屋着に着替え、弁当箱と携帯電話を抱えて部屋から出ると、イツキは自分の部屋に鍵をかけた。仕事が仕事だ、家に資料やデータを持ってくることはないが、それでも用心するに越したことはない。メイにも決して入らないように言っているおかげで、イツキの自室だけは彼女の手が及んでおらず、乱雑に物が散らばり部屋の隅には埃が溜まっていた。
 掃除するべきだろうかとも考えたが結局面倒で、イツキはそのまま弁当箱を出しにキッチンに入った。予想通りシチューだったようで、メイが両手に深皿を持ってテーブルに運んでいた。
「あ、お弁当。足りました?」
「足りたが、おにぎりはもう一つ多くても良い」
「分かりました、じゃ、次から増やしますね」
 ここで美味しかっただのありがとうだの言えば良かったのだろうが、幸か不幸かそこまで出来る男ではなかったので、イツキは弁当包みを解いて弁当箱を流し台に置くだけに留めた。ついでに、二人分のフォークやスプーンの入ったカトラリーとグラスをテーブルに運ぶ。イツキと比べればだいぶ小柄な少女はくるくると忙しげに動いていた。
 テーブルの向かい側に置かれたテレビをなんとはなしに眺めていると、キャスターが深刻そうな顔で通り魔事件が起こっていると話し始めた。
「通り魔?」
「らしい。老若男女問わず、火をつけるそうだ。被害者はほぼ全員死んでいる」
「火って」
 サラダとドレッシングを持ってきた少女が絶句する。テーブルには二人分の食事が用意され、あとは二人が座るだけだ。少女が落とさないよう両手からそっとサラダとドレッシングを取り上げテーブルに置く。
 眉を顰めた少女は糸が切れた人形のようにすとんと座った。
「ふつう、通り魔って刃物で切りつけるとかじゃないですか」
「そうだな。火をつけるなんて珍しい」
「ひどい話」
 わざわざ人に火をつけて殺すということ自体異常だ。人は燃えにくい。それでうっかり殺せなければ、自分の姿を見られて捜査の手がかりを落としていくことになる。だがそのデメリットがありながら通り魔の犯行は続いているという。そして現実には、被害者のほとんどが死に目撃情報は皆無に等しい。
「……そうだな」
 打った相槌はずいぶんと空々しく響いた。
 深刻な顔で事件の異常性を訴える言葉は、打った相槌以上に虚しいものでしかない。なぜなら彼らは事件を起こしている真犯人の正体など何も知らない。そしてイツキは、それを知っている。犯人の名前や姿は分からずとも、正体だけは分かるのだ。他でもない、イツキが所属する異能研究課が検死と現場検証を行い結論を出した。ーー犯人は異能者だ。
 熱を操る異能か、パイロキネシスか。どちらにしろ、異能者の犯行だという見解が既に異能研究課と異能捜査課で一致している。イツキが分析班として現場に駆り出されたのは一昨日のことだ。焦げたコンクリートと焼けた匂いが記憶からよみがえりそうになり、慌ててそれを打ち消した。食事時に人が死んだ現場のことなど思い出したくもない。
 浮かない顔の少女を見やる。自分のことではないだろうに、その顔には暗い影が落ちていた。なまじ真実を知っているだけに、適当なことを言って慰めることもは出来なかった。無責任な言葉で励ましても、少女の表情が晴れることはないだろう。
 お互い無言のままスプーンとフォークを手に取り、黙々と食事を始める。温かな湯気を立てるシチューも、特製ドレッシングのかかったサラダも、何もかもすべておいしいというのに、流れ続ける報道が耳に響いて味覚を阻害する。テレビのリモコンはあいにく手元に無かった。
 メイの、食事をとる手が小さく震えていた。
「……弁当」
 気付けばぼそりと呟いていた。
「……はい?」
「いや、弁当なんだが。卵焼き。美味かった」
 我ながらなんと幼稚な言い方だと笑い転げたくなったが、表情は真剣そのものだったに違いない。決して目つきが良いとは言えないイツキの真顔はあまり良い印象がもたれるものではないが、メイは真っ正面からそれに向き合い、大きく瞬きをした。いわく、予想外。このタイミングでそれを言うか、と自分で自分を殴りたくなったが、一度発した声がまさかまた喉まで戻ってくるはずもない。
 フォークに突き刺したレタスとツナを絡めて咀嚼する。油をほとんど使わないドレッシングはするりと舌を滑る。
 もう一度大きく瞬きをして、メイは口元を綻ばせた。
「良かった。だってイツキさん、何も言わないから。口に合わなかったりしてないかなって心配してたんです」
「別に、食えなかったら食えないと言うし」
「えへへ、良かったです。卵焼き、自分でもうまくできたなって思ってたので」
 誇らしげに少しばかり胸を張り、少女は続ける。
「でも、苦手なものがあったら遠慮なく言ってくださいね」
「今のところ、特には。だいたい何でも美味い」
「ほんとに?」
「嘘を言ってどうするんだ。美味いから安心しろ」
 素直に答えると、メイは心の底から幸せそうに微笑んだ。なんとか少女の気を逸らせることに成功したらしい。相変わらず真顔のまま、内心では安堵のため息をついていた。
 おそらく明日には、イツキはまたこの通り魔の犯人を追いつめるために仕事をするだろう。直接手を下すわけではないが、その退路を徐々に奪い、網を狭めていくのが研究者たるイツキの役目だ。それが成功すれば、この少女の表情も晴れるのかもしれない。自分の仕事が人と直接繋がっているという実感は重たく、だが不思議と嫌な物だとは思わなかった。
 報道は終わり、バラエティー番組に変わっていた。少女に薦められ、イツキはシチューを一掬い、口にした。



遠野イツキ…料理の腕は壊滅的。好き嫌いはあまりない。
羽根川メイ…料理上手の家事万能。子供の頃の夢はお嫁さんだった。
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