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Bernadette
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「遠野さんって、彼女さんいたんですね」
「へ」
「だから、彼女さん。しかも料理上手の」
「いや、何の話。まったく見えないんだが」
「だってほら、お弁当」
 同僚が指したのは、イツキのデスクに広げられた弁当だった。ノートパソコンが開かれ紙が散らばったデスクの僅かなスペースに、青い弁当包みを敷き、その上におかずが入った小さめのタッパーと、おにぎりが三個、ちょこんと載っている。小振りのおにぎりは作った者の手の小ささを反映しているが、形はきれいな三角形だ。わざわざ三つそれぞれで中の具も違うのだから、手が込んでいる。おかずも彩り豊かで、特に卵焼きは絶品だとイツキもひそかに思っている。
 その、弁当である。
「遠野さん、今までコンビニとか食堂だったじゃないですか。なのにいきなり弁当ってことは、作ってくれるような人がいるんでしょう?」
「いや、別に恋人というわけではなく」
「じゃあお嫁さんですか?」
「そんな訳がない」
「だったら遠野さんの手作りですかそれ?」
 それも違う。同僚の言う通り、遠野は今まで手作り弁当を持ってきたことなどなかった。一人暮らしは長いが、彼は決して料理が上手い訳ではない。むしろ何度練習しても腕が上がらず、結局上げる努力を放棄したほどには、壊滅的な料理の腕前を誇っていた。
 その男がいきなり弁当、しかも手作りである。確かに不審の目で見られても文句は言えないだろう。
 おにぎりを片手に、イツキは苦笑した。
「そうじゃない。これは……あれだ、居候が作ってくれている」
「居候?」
 さらに不思議そうな顔をされたが、イツキはそれ以上言及しなかった。代わりにおにぎりを一口かじる。中身はおかかだった。ちょうど良い塩気に柔らかな白米と、香ばしいのりの風味が優しく口に広がる。毎日イツキよりも早く起きて朝食と弁当の準備をしてくれる居候を思い出した。良かったな、メイ、お前は良い嫁さんになれるぞ。気付けば一ヶ月以上、イツキの部屋に居着いてしまった少女の笑顔が脳裏に浮かんだ。


 イツキの住む賃貸マンションは洋室が二つとダイニングが一つの2LDKだ。一人で住むには1Kでも十分だったが、諸々の条件が重なった結果、予定よりも広い部屋を借りることになった。そもそも公務員宿舎の一つや二つあるだろうと思っていたのだが、異能研究課は公的には存在しないことになっている組織だ。そんな組織のために宿舎があるわけなどなく、結局自分で家を探す羽目になった。
 家賃補助のおかげで広い部屋を借りることに不安はなかったが、いざ住んでみると広すぎて逆に居心地が悪い、となんとも間の抜けた事態に陥ってしまったのは記憶に新しい。それが解消したのは、図らずも居候が一人転がり込んできたおかげだ。
 その居候はイツキがインターホンを鳴らすと、ものの数秒でドアを開けに来た。
「おかえりなさい、イツキさん」
 そう満面の笑顔で迎えられたものだから、昼に同僚から言われた「良いお嫁さん」発言が一瞬頭の片隅をよぎった。メイという名の少女はエプロン姿で、長い茶髪を布製のヘアゴム(シュシュというらしい)で緩く一つに結っていた。料理中だったらしい、中からホワイトソースの香りが漂ってくる。今日の夕食はシチューか何かなのだろう。
「……ただいま」
 一拍遅れて返事をした。どうやらイツキ自身が思っているよりも、昼の会話が尾を引いているらしかった。まるで新婚夫婦のようだと更にふざけたことを考えつつ、表面はいつも通りを装って中に入る。鍵を閉め、チェーンをかけている間にメイはぱたぱたとキッチンに戻っていった。
 イツキは真っ先に自分の部屋に入ると、仕事鞄をデスクの上に置いた。鞄の中から空になった弁当箱と、携帯電話を取り出す。部屋着に着替え、弁当箱と携帯電話を抱えて部屋から出ると、イツキは自分の部屋に鍵をかけた。仕事が仕事だ、家に資料やデータを持ってくることはないが、それでも用心するに越したことはない。メイにも決して入らないように言っているおかげで、イツキの自室だけは彼女の手が及んでおらず、乱雑に物が散らばり部屋の隅には埃が溜まっていた。
 掃除するべきだろうかとも考えたが結局面倒で、イツキはそのまま弁当箱を出しにキッチンに入った。予想通りシチューだったようで、メイが両手に深皿を持ってテーブルに運んでいた。
「あ、お弁当。足りました?」
「足りたが、おにぎりはもう一つ多くても良い」
「分かりました、じゃ、次から増やしますね」
 ここで美味しかっただのありがとうだの言えば良かったのだろうが、幸か不幸かそこまで出来る男ではなかったので、イツキは弁当包みを解いて弁当箱を流し台に置くだけに留めた。ついでに、二人分のフォークやスプーンの入ったカトラリーとグラスをテーブルに運ぶ。イツキと比べればだいぶ小柄な少女はくるくると忙しげに動いていた。
 テーブルの向かい側に置かれたテレビをなんとはなしに眺めていると、キャスターが深刻そうな顔で通り魔事件が起こっていると話し始めた。
「通り魔?」
「らしい。老若男女問わず、火をつけるそうだ。被害者はほぼ全員死んでいる」
「火って」
 サラダとドレッシングを持ってきた少女が絶句する。テーブルには二人分の食事が用意され、あとは二人が座るだけだ。少女が落とさないよう両手からそっとサラダとドレッシングを取り上げテーブルに置く。
 眉を顰めた少女は糸が切れた人形のようにすとんと座った。
「ふつう、通り魔って刃物で切りつけるとかじゃないですか」
「そうだな。火をつけるなんて珍しい」
「ひどい話」
 わざわざ人に火をつけて殺すということ自体異常だ。人は燃えにくい。それでうっかり殺せなければ、自分の姿を見られて捜査の手がかりを落としていくことになる。だがそのデメリットがありながら通り魔の犯行は続いているという。そして現実には、被害者のほとんどが死に目撃情報は皆無に等しい。
「……そうだな」
 打った相槌はずいぶんと空々しく響いた。
 深刻な顔で事件の異常性を訴える言葉は、打った相槌以上に虚しいものでしかない。なぜなら彼らは事件を起こしている真犯人の正体など何も知らない。そしてイツキは、それを知っている。犯人の名前や姿は分からずとも、正体だけは分かるのだ。他でもない、イツキが所属する異能研究課が検死と現場検証を行い結論を出した。ーー犯人は異能者だ。
 熱を操る異能か、パイロキネシスか。どちらにしろ、異能者の犯行だという見解が既に異能研究課と異能捜査課で一致している。イツキが分析班として現場に駆り出されたのは一昨日のことだ。焦げたコンクリートと焼けた匂いが記憶からよみがえりそうになり、慌ててそれを打ち消した。食事時に人が死んだ現場のことなど思い出したくもない。
 浮かない顔の少女を見やる。自分のことではないだろうに、その顔には暗い影が落ちていた。なまじ真実を知っているだけに、適当なことを言って慰めることもは出来なかった。無責任な言葉で励ましても、少女の表情が晴れることはないだろう。
 お互い無言のままスプーンとフォークを手に取り、黙々と食事を始める。温かな湯気を立てるシチューも、特製ドレッシングのかかったサラダも、何もかもすべておいしいというのに、流れ続ける報道が耳に響いて味覚を阻害する。テレビのリモコンはあいにく手元に無かった。
 メイの、食事をとる手が小さく震えていた。
「……弁当」
 気付けばぼそりと呟いていた。
「……はい?」
「いや、弁当なんだが。卵焼き。美味かった」
 我ながらなんと幼稚な言い方だと笑い転げたくなったが、表情は真剣そのものだったに違いない。決して目つきが良いとは言えないイツキの真顔はあまり良い印象がもたれるものではないが、メイは真っ正面からそれに向き合い、大きく瞬きをした。いわく、予想外。このタイミングでそれを言うか、と自分で自分を殴りたくなったが、一度発した声がまさかまた喉まで戻ってくるはずもない。
 フォークに突き刺したレタスとツナを絡めて咀嚼する。油をほとんど使わないドレッシングはするりと舌を滑る。
 もう一度大きく瞬きをして、メイは口元を綻ばせた。
「良かった。だってイツキさん、何も言わないから。口に合わなかったりしてないかなって心配してたんです」
「別に、食えなかったら食えないと言うし」
「えへへ、良かったです。卵焼き、自分でもうまくできたなって思ってたので」
 誇らしげに少しばかり胸を張り、少女は続ける。
「でも、苦手なものがあったら遠慮なく言ってくださいね」
「今のところ、特には。だいたい何でも美味い」
「ほんとに?」
「嘘を言ってどうするんだ。美味いから安心しろ」
 素直に答えると、メイは心の底から幸せそうに微笑んだ。なんとか少女の気を逸らせることに成功したらしい。相変わらず真顔のまま、内心では安堵のため息をついていた。
 おそらく明日には、イツキはまたこの通り魔の犯人を追いつめるために仕事をするだろう。直接手を下すわけではないが、その退路を徐々に奪い、網を狭めていくのが研究者たるイツキの役目だ。それが成功すれば、この少女の表情も晴れるのかもしれない。自分の仕事が人と直接繋がっているという実感は重たく、だが不思議と嫌な物だとは思わなかった。
 報道は終わり、バラエティー番組に変わっていた。少女に薦められ、イツキはシチューを一掬い、口にした。



遠野イツキ…料理の腕は壊滅的。好き嫌いはあまりない。
羽根川メイ…料理上手の家事万能。子供の頃の夢はお嫁さんだった。
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 音楽プレーヤーの電源を入れ、愛して止まない音楽をヘッドフォンに流す。脳を揺らす重いベースの音と、遠くから響き近づいてくるようなシンセサイザー。それだけで満たされた気分になるのだからやすいものだとキリトは思う。我ながら単純だが、単純だからこそ楽で良い。
 最初はビルの屋上へ。人気のない通りから、少し離れた六階建ての雑居ビルの屋上を見据える。特に準備など必要ない。ただキリトは思うだけだ、「あの屋上へ」。
 そして次の瞬間には少年の体は薄汚れた地面から、黒ずんだコンクリートへ移動する。一瞬で変わった景色に、脳がついていけず眩暈がした。世界が傾く。その中で目に映ったのは、更に高いビルの屋上だ。キリトはまた思う。それだけで体は勝手に移動する。
 およそ30秒のイントロの後、ボーカルが入る。合わせて口ずさんだ時には移動は終わっていた。更に高いビルの屋上は、ネオンの光が少しだけ遠い。パーカーのフードが風に煽られ落ちそうになるのを手で押さえた。頬をなぶる風は冬の冷たさをしている。思わず身震いすれば、ひゅう、と一際強く風が吹いた。
 頬を掠めたのは、真っ白な紙飛行機だった。
 振り返ればそこに、白衣を着た男がいた。まだ30歳にはなっていないだろう、長身の男は奇妙な体勢でキリトをじっと見つめていた。あるいは睨んでいるのか、男の目つきは鋭い。シャツにネクタイを締め、その上に更にネームプレートらしき物をぶらさげていたが、あいにく夕方を過ぎた頃合いで、何と書いているのかまでは読めなかった。
 研究者だろうか、だとすれば、何故こんな時間にこんなところにいるのだろうか。冷静に考える一方で、今はどんな状況なのか、自分は何をするべきなのか、キリトに判断する余裕はなかった。自分が思っていたよりも、突然の事態に弱いらしい。空間移動で遊ぶところを見られるなど、そしてその可能性を考えていなかったなど、あまりに迂闊だった。
 だが後悔したところで見られた事実は変わらない。殺してでも口封じするべきだろうか、と、やはり妙なほど冷静な頭が思いつく。いやだがおれには無理だ、と冷静ではない自分が否定する。
 ヘッドフォンから流れる音楽は、気怠い間奏に入る。男の白衣が風に靡く。
「……あー、っと」
 混乱からの復活は、男の方が早かった。キリトが唐突に現れたところに偶然居合わせてしまった男は、その癖のある黒髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。あるいは男も未だに混乱から回復していないのか、どちらにしろ人の心は読めないキリトに分かるはずもなかった。
 男の長い指が、キリトの背後を差す。
「その紙飛行機」
「……うん」
「俺のなんだが」
「……」
 反射的に身を翻し、紙飛行機を拾い上げた。よくよく見ればだいぶ大きな紙飛行機で、紙にはグラフらしきものが印刷されていた。それにペンか何かで文字や数式が書き込まれているのも見えたが、あいにくキリトには理解できない類のものだった。どちらにしろ、男の手遊びに作られたものだと言うことはよく分かった。
 それを手にもう一度、男に向き直る。紙飛行機は渡さない。
「あのさ、あんた、見たよな」
「お前がいきなり現れたのを、か?」
「そう、それ」
 やはり、誤魔化しようはなかった。さてどうするか、と算段を巡らせる背中に冷や汗が落ちる。それでも男から目を離さなかったのは警戒心からだ。目をそらした瞬間に何かアクションを取られれば、決して戦闘向きではないキリトに好ましくない状況に陥ることは火を見ずとも明らかだった。
 男の赤紫の目に、剣呑な光が宿るのを見た。
「おまえ、異能者だな」
「……なんだ、あんた、異能者知ってんの」
 そしてその言葉が、キリトの中ですべてを繋げた。異能者を知っている、白衣を着た、研究者然とした男。いつか聞いたことがある、異能者を研究する機関がある、と。
「あんた、おれを捕まえるつもり?」
 男は答えない。ただ険しい表情でキリトを睨むだけだ。だが沈黙が肯定だ。キリトはじり、と後ろに下がる。フェンスが近い。
「だったらどうする?」
 いやに静かに男の声が響いた。
 キリトは笑う。
「逃げるだけだ」
 長くも短い間奏が終わり、爆発するように歌声が響く。男が声を発するより先に、キリトは身を翻してフェンスに飛びついた。高いフェンスは少年の体重を受けてぎしりと軋む。手が汗ばんでいた。男が何か叫ぶ。そう言えば紙飛行機を手にしたままだった、と気付いてそれを、男の方へ投げつけた。思い切り振り上げられた紙飛行機は、優雅な軌跡を描くことなく無様にコンクリートに落ちる。
 男の手がキリトのスニーカーを掴もうとして空を切る。笑ったまま、キリトはフェンスの外側に体を傾け、重力に逆らわず落ちていく。
 男の鋭い目が大きく見開かれた。それを見て何があったわけでもないのにざまあ見ろ、と思う。首から提げたネームプレートに、「遠野イツキ」と書かれているのがはっきり見えた。
 耳を打つのは風の音と大きく脈打つ心臓の音、そしてシンセサイザーの音だけだ。落ちる、その最中、周囲のすべてがスローモーションに見えた。
 ずっと遠くに、高いビルがそびえ立っている。
 あとはただ、キリトは念じるだけで良い、「あの屋上へ」。それだけで体は勝手に移動する。
 エレクトロニカが終わる瞬間には、キリトの体は、あの屋上へ辿り着いている。




新城キリト…過激派、覚醒したばかりの異能者、髪は黒、目は緑、空間移動と音を操る異能、現状に不満はない
・高校生、17歳くらい。身長は170cm前後。「おれ」「あんた」「お前」など。口調は乱暴ではないが丁寧でもない。
・過激派ではあるが、戦闘能力がほとんどないため自分から戦うことは少ない。
・「自分の視界の範囲の場所」に「自分と自分が手にする物」を移動させることが出来る。あまり遠すぎたり、連続して移動しようとすると頭が痛む。また、手にしていても人を移動させることは出来ない。
・音を操る異能は現段階ではほとんど使えない。自分の耳に入る音量を調節する程度。
・パーカーとジーンズ、スニーカー。ヘッドフォンとプレーヤーは欠かせない。
・使えるものなら使った方が良い、という考え方。よく空間移動で遊ぶ。異能に目覚めたことを後悔も何もしておらず、むしろ人と違うことが出来ることを楽しく思っている。
・同じ異能者を厳しく取り締まる異捜に良い感情を抱いていないが、戦っても負けることは目に見えているので、結果としてあまり過激派らしくない。


遠野イツキ…警視庁異能研究課、異能者、髪は黒、目は赤紫、風を操る異能、最近所属した
・28歳、研究員。化学分析が専門。身長は180cm前後。「俺」「おまえ」「君」など。目上には丁寧語。あまり崩した言葉遣いはしない。
・純血の異能だが、いまいち使い方が分かっておらず風の流れを操る程度しか出来ていない。紙飛行機を飛ばすときに使う程度。手癖が悪く、手持ち無沙汰だとペンを回したり紙飛行機を大量生産する。そして異能でより遠くに飛ばされる。なのであまり戦闘向きではない。
・シャツにネクタイ、スラックス、その上に白衣。首から身分証明証などを入れたケースをぶら下げている。
・技術発展や事実解明のためならある程度の犠牲は仕方ない、という考え方。異研の非人道的な実験などにもあまり嫌悪感は抱いていない。なお、一つのことに集中すると周りが見えにくくなるタイプ。
・一方で自分の異能とははっきりと向き合っていないため、その態度はあいまい。実験対象の異能者と、自分のような異能持ちの研究者は違うのだと線引きをしているが、ではどう違うのかと問われれば答えられない。だからあえて考えないようにしている。
藤は空孤で朝陽横丁に住んでいる教師です。ビー玉を大事にしています。馬頭鬼とは相棒です。
菖蒲は天狗で桜小路に住んでいる郵便配達人です。鏡を大事にしています。鳴家とは師弟関係です。


 せんせえせんせえと、舌っ足らずな調子で呼ばれたものだから、屋根で日向ぼっこをしていた藤はうっすら目を開けた。
 ばさばさ音がすると思ったら、子供の天狗が宙に浮いているのだった。肩から革の鞄をかけているが、まだ幼い天狗にその鞄は少し大きいように見える。着物の裾から覗く足は華奢だが、大きな目はきらきらと輝きまるで太陽のようだった。
 桜小路の幼い郵便配達人、天狗の菖蒲だった。
「せんせえ、手紙、手紙だよ!」
 藤が目を覚ましたと気付くやいなや、菖蒲は一層大きく羽ばたいた。あいよ、と気の抜けた相槌で答え、藤は四本足をふんばり大きく伸びをした。日向ぼっこをするなら狐の姿と決めているが、しかし配達人であれなんであれ、客が来たならばその姿のままでいるのははばかられる。少し力を込めて狐の姿から人の姿に化ける。藤が突然白髪の男に変わったのを見て、菖蒲は大きな目を更に大きく開いて驚いた。その拍子に羽ばたくことを忘れたか、うわあと間抜けな声を上げて体が傾いだ。
 どうにもまだまだ未熟な天狗は、宙に浮くこともままならないらしい。
「これ菖蒲、無理せんでもよかろうに。怪我をする」
「飛ぶ練習してるんだよ! おれも、すぐ大天狗になるんだ!」
「なんぞ焦る必要がある」
「だって師匠が、早く立派な天狗になれって」
「あの鳴家の言うことなんぞ、気にせんでもよかろ」
 そう言えば、ようやっと元のように浮かんだ菖蒲は鼻にしわを寄せた。だが小さな子供に何か言わせるよりも早く、藤はからかう。
「まずおぬしは、飛ぶことよりも字を書くことを覚えよ」
「むう」
「書けぬが読めるとは言わせんぞ」
「だってせんせえ、おれ、郵便配達人だし」
「今の世、文字の書けぬ天狗なぞおらんわ」
 さきほどまでの溌剌さはどこへやら、菖蒲は情けない声を上げた。からからと笑ってみせれば、反論したいのだと訴えるように大きく羽ばたいた。それでも何も言わないのは、何を言ったところで藤に口では勝てないと思っているからなのだろう。生まれて十年程度しか経っていない天狗と三千年生きた空孤では、どちらが勝つのかは明白だ。事実、菖蒲が藤に勝てたことは一度としてないのだから、口答えしないのは賢明な判断と言えるだろう。
 ひとしきり笑ったところで、藤は菖蒲に手を差し出した。一瞬きょとんとした顔で首を傾げたが、すぐに何のことか思い出したらしい。菖蒲は慌てて革の鞄に手を突っ込み、がさごそがさごそと中身を漁りだした。
 少しして取り出したのは、桜色の封筒だった。
「先生に、手紙!」
「あいよ」
 ずいぶん洒落た封筒だ、と手にしたそれを矯めつ眇めつ眺めてみる。どうやら少女が書いたらしい、宛名の字はかわいらしく、丸っこい物だった。藤が教える字の書き方ではないし、そもそもそんな字を書くような相手から手紙をもらうことなどほとんどない。色と良い雰囲気と良い、まるで恋文のようだ。
「……ふむ。菖蒲よ」
「なあに、先生」
「おぬし、ここがどこか知っておるか」
「朝陽横丁!」
「で、おぬしは字が読めるな」
「うん」
「では聞くぞ。この字はなんと読む」
 ずい、と菖蒲に封筒を差し出せば、小さな天狗は不思議そうな目でそれを見た。大きく瞬きをし、首を傾げ、もう一度目を動かし字を辿り、
「あっ」
 住所を間違えたことにようやく気付いた。
 藤の手から桜色の封筒を受け取った菖蒲は悔しいのか恥ずかしいのか、唇をかみしめぷるぷる震えていた。羽ばたく翼すら震えていたものだから、藤は思わず笑い、朗らかに言い放つ。
「明後日はまず、字の読みから始めるかのう」
 そんなのやだあ、と半ば泣きそうな声を上げ、菖蒲は羽ばたくのを止めて屋根に降り立った。どうやら翼が震えていたのは羞恥やら何やらではなく、羽ばたき続けて疲れただけだったらしい。その証拠に、手紙を一度鞄にしまった菖蒲は疲れたように屋根に手と膝をついた。それにもう一度笑うと、恨めしげな目で睨まれた。
 しかしその程度で怯むような藤ではない。愉快愉快とその頭をぐしゃぐしゃと撫で、朝陽横丁の北を、手紙の本来の住所の方を差す。
「ただの冗談よ、気にするでない。ほれ、いい加減立ち上がらんか」
 恋文はさっさと届けてやるに限る。そう嘯けば、まだ恋を知らない天狗は首を傾げたが、藤はただ笑んで手で促した。
「また明後日な」
「……うん」
「次は間違えるでないぞ」
「まちがえないよ! ばかにすんな!」
 未熟なわりには反骨精神猛々しい小天狗はそう言うと、勢いよく飛び上がった。それでも暴言を吐くなり舌を出して反抗するなりしないのだから、根は素直な子供なのだった。一度振り返って手を振ると、菖蒲はぎこちなく両翼をはためかせ、北の方へ飛んでいく。その姿を見送って、藤はまた狐の姿に戻って屋根に丸まった。
 なにせ、太陽が燦々と降り注ぐ小春日和なのだ。もうしばらく日向ぼっこをしていても、誰も文句は言うまい。
 脱いだ白衣をハンガーに掛け、ロッカーの中に吊り下げる。それと入れ替わりにスーツのジャケットを取り出し羽織った。およそ12時間ぶりに袖を通したジャケットはひやりと冷たい。だが自分の体に馴染むそれは、イツキにわずかな安堵をもたらした。
 ロッカーの扉を閉め、鍵をかける。鍵を仕舞うついでに足下に置いた鞄に財布があるのを確認し、携帯電話はスーツのポケットに突っ込んだ。そこで初めて、自分が身分証明証の入ったケースをぶら下げていることに気付き慌てて外す。紐をくるくると巻き付け、それも鞄の中に放り込んだ。無意味にスーツの表面を撫で、軽く叩き、そうしてようやく帰る準備は完了する。
 たった一人しかいなかった男子更衣室を出て、配属された研究室に少しだけ顔を出し、先に帰る旨を告げた。とはいえとうに一般的な退勤時間は過ぎている。それでも研究室では白衣を着た同僚たちが忙しげに仕事を続けていた。この職場に来て一ヶ月以上経つが、退勤時間というものがここではただのお飾りだということは身を持って知っている。研究熱心だというよりも、渡される仕事の数と研究員の数が釣り合わないが故の現状だ。その中で一人悠々と帰宅するのは気が引けたが、しかしイツキが残ったところで出来る仕事は今はない。声をかけてきた数人に一言二言返し、イツキは研究室を出た。
「ああ、遠野。明日、もしかしたら分析頼むかもしれないからよろしく頼む」
「分かりました。……捜査課から預かった、とおっしゃっていた薬ですか」
「そうだ。発狂を抑えるという触れ込みのな」
 去り際、事も無げにイツキに言葉を投げてよこした上司は、皮肉気に唇の端を歪めていた。あるいはイツキもそんな表情をしたかもしれない。鞄を持たない手で、無意味に自分の髪の毛を掻き回した。存在し得ない薬を売る側も買う側も、等しく哀れに思えたのだ。


 大学から大学院を経て、そのまま大学の研究所に身を置いたイツキが、警視庁異能研究課に所属したのはごく最近のことだ。実のことを言えば、イツキにも何故こうなったのか詳しくは説明できない。そもそも警視庁異能研究課は、世間的には存在しないことになっている組織だ。そんな組織に所属するにあたりイツキも準備や片づけに追われ、気付けば異能研究課に足を踏み入れていた、という有様である。ごくごく一般的な研究所から研究員が引き抜かれるのは異常なことだとさすがのイツキにでも分かるが、そこには何か事情があったのだろう。そしてその事情の中に、イツキが異能者であるということも含まれているに違いない。
 今も意識すれば、隣のサラリーマンから漂うアルコール臭を明後日の方向に向けることが出来るのだろう。風の流れを操る異能を持っていると気付いたのは、およそ一年前だ。異能とは何なのかさっぱり分からなかったイツキがその能力を隠し通したのは当然のことと言えるだろう。そこから情報を集め、知識を得て、警視庁には秘密裏に異能者を相手取る組織があるということを知ったタイミングで異能研究課から声がかかったのだから、偶然と言うには出来すぎている。イツキが異能者であることがどこで露見したのか分からない以上、やはり偶然である可能性も捨てきれないが、しかしイツキにはそれが偶然とは考えられなかった。
 帰宅ラッシュを過ぎたとはいえ、電車内には人が多い。酔いに任せて眠りに落ちたサラリーマンが、かくり、かくりと頭を振る。鞄を抱えぼんやりと電光掲示板を見れば、次が最寄りの駅だった。降りなければ、と意識するよりも早く体が動き、席を立つ。反射行動のような己の立ち居振る舞いに半ば呆れたところで電車が止まり、入り口が開く。降りる人々の合間を縫いながら、イツキは駅を出た。
 駅から歩いて五分のマンションが、異能研究課に移る際新たに借りた我が家だ。毎日のように研究室に行くイツキからしてみれば、荷物置き場と寝る場所といった程度でしかない賃貸マンションの一室だが、その姿が見えれば不思議と安堵に似た感覚を抱いた。途中買った遅い夕食を片手に、マンションの入り口で番号を入力する。
「――あの」
 声がかけられたのは、その時だった。
 まだ年若い女の声だった。振り返ったが誰もいない。慌てて視線を横にずらせば、入り口の階段の下、植え込みと壁の間に人影があった。薄暗い中、目を凝らせばそれが少女だということが分かり、イツキは緊張を僅かに緩めた。
 チョコレートを思わせる茶髪の少女は、桃色の目をしていた。
「あの、すみません」
 少女の足下にはボストンバッグが転がっていた。痩せた頬が、土で汚れた少女の服の裾が、そして必死さを浮かべる表情が、少女は体中で訴えていた。
 曰く、
「あたしを拾ってくれませんか?」
 その瞬間、鞄を落としたイツキを少女はやはり、真剣な目で見ていた。


羽根川メイ…保守派、異能者、髪は茶色、目は桃色、念動力を操る異能、立場に不安を感じている

ハネガワ・メイ。女、高校生。身長は女性の平均程度(155~160)。家出中のため、服はばらばら。居候先のイツキの服を借りることもある。
内ハネ気味のロングヘアー。背中の真ん中辺りまで伸びている。何か作業する時は、ポニーテールより少し低めの位置で括っている。裸眼。
一人称は「あたし」、二人称は「あなた」「きみ」、少し気分が高ぶっていると「あんた」と乱暴になる。口調は少女らしい柔らかさがあるが、怒る、悲しむなど極端に感情が高ぶるといくらか乱暴になる。性格は穏やか。
ただ無為に時間を過ごすのが好き。お茶を片手にぼんやりするとか、フローリングにぺったり横になるとか、12時間睡眠を実行するとか、とにかく自分の時間を無駄使いすることが好き。暇や退屈は友達。放っておくとしばらくそのままなので、観葉植物と同じような物扱いされる。
一方で、どこか遠くに行くことが好き。健脚。電車に乗る=乗っている間は暇、という理由で電車に乗るのも良い。だが交通機関は金がかかるため、普段はフラフラ散歩する程度。
暇な時間を作るために、やるべきことはさっさとやってしまう。口では嫌だなあと言いつつも体は動かす。夏休みの課題を最初の数日で終わらせて、あとは無為に過ごすタイプ。作業するスピードは速い。
イツキに住ませてもらっている以上何かしなければならないと思い、家事全般をしている。料理も下手な方ではない。もう少しスキル向上したい、と本人は思っているが、主に食べる側のイツキは食べられれば何でも良いので、結局なかなか向上しない。
不安になるようなものが嫌い。ホラーやスプラッタなど。出来れば安心して生活したい、という思いが強い。誰かに守ってもらいたいし、誰かに必要とされたい、という依存症的な側面がある。そのような考え方から保守派である。

数ヶ月前に異能に目覚めたはずだが、その辺りの記憶があいまい。何がきっかけだったのか、何が起こったのか、ということを上手く思い出せない。ただ、異能に目覚めたことがきっかけで家を出た。ふらふらホームレス生活をしていたところで、イツキに拾われる。それ以来イツキのマンションで過ごしている。
普通ならば失踪すれば報道されるが、運が良いのか発見されないままイツキのマンションに居着くようになった。家族や友人について考えることはあまりない。記憶があいまいだからなのか、異能に目覚める以前のことは割とどうでも良い。過去よりも今が大事、というよりも、しょせんその程度のものだったのかもしれない、という考え方。それに加えて不安を感じることに対して恐怖を抱いているため、記憶があいまいであることを出来る限り思考に入れたくない。故に、以前のことはほとんど考えない。

コミュニケーション能力はそこそこ。誰とでも、ある程度は話せる。人当たりは良い方。一応女子高生なので、ファッションや買い物が好き。誰かとプリクラを撮るのも嫌いじゃない。しかし集めたプリクラをどう活用すればいいのか悩んでしまう。
ぼんやりしている時でも、話しかければ答える。会話のキャッチボールがきちんと出来る。だが、端からコミュニケーションを放棄している相手とは、メイ自身困って結局会話は成立しない。

異能は念動力。だが、周囲の人間には決して話していないし、出来るなら異能など欲しくなかった。ただし、イツキは薄々勘付いている。メイはイツキが異能者であることも、異能研の人間であることも知らない。ただの研究者だと思っている。
今の時点で、自分の周囲(半径3~5m以内?)にあり、かつ自分より軽いものなら動かせる。重くなれば重くなるほど動かす際に体に疲労として蓄積されていく。また、重い物はあまり遠くまで投げられない。重くなくとも、一度に大量の物を動かしても疲れる。
ペンや包丁程度の物なら楽に動かせるので、それを勢いよく相手に当てる、などして攻撃することが可能。念動力の純血のため、慣れてくれば自分の体重以上の物も動かせるようになる。なお、いくら軽くても現時点では人は動かせない。


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