音楽プレーヤーの電源を入れ、愛して止まない音楽をヘッドフォンに流す。脳を揺らす重いベースの音と、遠くから響き近づいてくるようなシンセサイザー。それだけで満たされた気分になるのだからやすいものだとキリトは思う。我ながら単純だが、単純だからこそ楽で良い。
最初はビルの屋上へ。人気のない通りから、少し離れた六階建ての雑居ビルの屋上を見据える。特に準備など必要ない。ただキリトは思うだけだ、「あの屋上へ」。
そして次の瞬間には少年の体は薄汚れた地面から、黒ずんだコンクリートへ移動する。一瞬で変わった景色に、脳がついていけず眩暈がした。世界が傾く。その中で目に映ったのは、更に高いビルの屋上だ。キリトはまた思う。それだけで体は勝手に移動する。
およそ30秒のイントロの後、ボーカルが入る。合わせて口ずさんだ時には移動は終わっていた。更に高いビルの屋上は、ネオンの光が少しだけ遠い。パーカーのフードが風に煽られ落ちそうになるのを手で押さえた。頬をなぶる風は冬の冷たさをしている。思わず身震いすれば、ひゅう、と一際強く風が吹いた。
頬を掠めたのは、真っ白な紙飛行機だった。
振り返ればそこに、白衣を着た男がいた。まだ30歳にはなっていないだろう、長身の男は奇妙な体勢でキリトをじっと見つめていた。あるいは睨んでいるのか、男の目つきは鋭い。シャツにネクタイを締め、その上に更にネームプレートらしき物をぶらさげていたが、あいにく夕方を過ぎた頃合いで、何と書いているのかまでは読めなかった。
研究者だろうか、だとすれば、何故こんな時間にこんなところにいるのだろうか。冷静に考える一方で、今はどんな状況なのか、自分は何をするべきなのか、キリトに判断する余裕はなかった。自分が思っていたよりも、突然の事態に弱いらしい。空間移動で遊ぶところを見られるなど、そしてその可能性を考えていなかったなど、あまりに迂闊だった。
だが後悔したところで見られた事実は変わらない。殺してでも口封じするべきだろうか、と、やはり妙なほど冷静な頭が思いつく。いやだがおれには無理だ、と冷静ではない自分が否定する。
ヘッドフォンから流れる音楽は、気怠い間奏に入る。男の白衣が風に靡く。
「……あー、っと」
混乱からの復活は、男の方が早かった。キリトが唐突に現れたところに偶然居合わせてしまった男は、その癖のある黒髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。あるいは男も未だに混乱から回復していないのか、どちらにしろ人の心は読めないキリトに分かるはずもなかった。
男の長い指が、キリトの背後を差す。
「その紙飛行機」
「……うん」
「俺のなんだが」
「……」
反射的に身を翻し、紙飛行機を拾い上げた。よくよく見ればだいぶ大きな紙飛行機で、紙にはグラフらしきものが印刷されていた。それにペンか何かで文字や数式が書き込まれているのも見えたが、あいにくキリトには理解できない類のものだった。どちらにしろ、男の手遊びに作られたものだと言うことはよく分かった。
それを手にもう一度、男に向き直る。紙飛行機は渡さない。
「あのさ、あんた、見たよな」
「お前がいきなり現れたのを、か?」
「そう、それ」
やはり、誤魔化しようはなかった。さてどうするか、と算段を巡らせる背中に冷や汗が落ちる。それでも男から目を離さなかったのは警戒心からだ。目をそらした瞬間に何かアクションを取られれば、決して戦闘向きではないキリトに好ましくない状況に陥ることは火を見ずとも明らかだった。
男の赤紫の目に、剣呑な光が宿るのを見た。
「おまえ、異能者だな」
「……なんだ、あんた、異能者知ってんの」
そしてその言葉が、キリトの中ですべてを繋げた。異能者を知っている、白衣を着た、研究者然とした男。いつか聞いたことがある、異能者を研究する機関がある、と。
「あんた、おれを捕まえるつもり?」
男は答えない。ただ険しい表情でキリトを睨むだけだ。だが沈黙が肯定だ。キリトはじり、と後ろに下がる。フェンスが近い。
「だったらどうする?」
いやに静かに男の声が響いた。
キリトは笑う。
「逃げるだけだ」
長くも短い間奏が終わり、爆発するように歌声が響く。男が声を発するより先に、キリトは身を翻してフェンスに飛びついた。高いフェンスは少年の体重を受けてぎしりと軋む。手が汗ばんでいた。男が何か叫ぶ。そう言えば紙飛行機を手にしたままだった、と気付いてそれを、男の方へ投げつけた。思い切り振り上げられた紙飛行機は、優雅な軌跡を描くことなく無様にコンクリートに落ちる。
男の手がキリトのスニーカーを掴もうとして空を切る。笑ったまま、キリトはフェンスの外側に体を傾け、重力に逆らわず落ちていく。
男の鋭い目が大きく見開かれた。それを見て何があったわけでもないのにざまあ見ろ、と思う。首から提げたネームプレートに、「遠野イツキ」と書かれているのがはっきり見えた。
耳を打つのは風の音と大きく脈打つ心臓の音、そしてシンセサイザーの音だけだ。落ちる、その最中、周囲のすべてがスローモーションに見えた。
ずっと遠くに、高いビルがそびえ立っている。
あとはただ、キリトは念じるだけで良い、「あの屋上へ」。それだけで体は勝手に移動する。
エレクトロニカが終わる瞬間には、キリトの体は、あの屋上へ辿り着いている。
新城キリト…過激派、覚醒したばかりの異能者、髪は黒、目は緑、空間移動と音を操る異能、現状に不満はない
・高校生、17歳くらい。身長は170cm前後。「おれ」「あんた」「お前」など。口調は乱暴ではないが丁寧でもない。
・過激派ではあるが、戦闘能力がほとんどないため自分から戦うことは少ない。
・「自分の視界の範囲の場所」に「自分と自分が手にする物」を移動させることが出来る。あまり遠すぎたり、連続して移動しようとすると頭が痛む。また、手にしていても人を移動させることは出来ない。
・音を操る異能は現段階ではほとんど使えない。自分の耳に入る音量を調節する程度。
・パーカーとジーンズ、スニーカー。ヘッドフォンとプレーヤーは欠かせない。
・使えるものなら使った方が良い、という考え方。よく空間移動で遊ぶ。異能に目覚めたことを後悔も何もしておらず、むしろ人と違うことが出来ることを楽しく思っている。
・同じ異能者を厳しく取り締まる異捜に良い感情を抱いていないが、戦っても負けることは目に見えているので、結果としてあまり過激派らしくない。
遠野イツキ…警視庁異能研究課、異能者、髪は黒、目は赤紫、風を操る異能、最近所属した
・28歳、研究員。化学分析が専門。身長は180cm前後。「俺」「おまえ」「君」など。目上には丁寧語。あまり崩した言葉遣いはしない。
・純血の異能だが、いまいち使い方が分かっておらず風の流れを操る程度しか出来ていない。紙飛行機を飛ばすときに使う程度。手癖が悪く、手持ち無沙汰だとペンを回したり紙飛行機を大量生産する。そして異能でより遠くに飛ばされる。なのであまり戦闘向きではない。
・シャツにネクタイ、スラックス、その上に白衣。首から身分証明証などを入れたケースをぶら下げている。
・技術発展や事実解明のためならある程度の犠牲は仕方ない、という考え方。異研の非人道的な実験などにもあまり嫌悪感は抱いていない。なお、一つのことに集中すると周りが見えにくくなるタイプ。
・一方で自分の異能とははっきりと向き合っていないため、その態度はあいまい。実験対象の異能者と、自分のような異能持ちの研究者は違うのだと線引きをしているが、ではどう違うのかと問われれば答えられない。だからあえて考えないようにしている。
最初はビルの屋上へ。人気のない通りから、少し離れた六階建ての雑居ビルの屋上を見据える。特に準備など必要ない。ただキリトは思うだけだ、「あの屋上へ」。
そして次の瞬間には少年の体は薄汚れた地面から、黒ずんだコンクリートへ移動する。一瞬で変わった景色に、脳がついていけず眩暈がした。世界が傾く。その中で目に映ったのは、更に高いビルの屋上だ。キリトはまた思う。それだけで体は勝手に移動する。
およそ30秒のイントロの後、ボーカルが入る。合わせて口ずさんだ時には移動は終わっていた。更に高いビルの屋上は、ネオンの光が少しだけ遠い。パーカーのフードが風に煽られ落ちそうになるのを手で押さえた。頬をなぶる風は冬の冷たさをしている。思わず身震いすれば、ひゅう、と一際強く風が吹いた。
頬を掠めたのは、真っ白な紙飛行機だった。
振り返ればそこに、白衣を着た男がいた。まだ30歳にはなっていないだろう、長身の男は奇妙な体勢でキリトをじっと見つめていた。あるいは睨んでいるのか、男の目つきは鋭い。シャツにネクタイを締め、その上に更にネームプレートらしき物をぶらさげていたが、あいにく夕方を過ぎた頃合いで、何と書いているのかまでは読めなかった。
研究者だろうか、だとすれば、何故こんな時間にこんなところにいるのだろうか。冷静に考える一方で、今はどんな状況なのか、自分は何をするべきなのか、キリトに判断する余裕はなかった。自分が思っていたよりも、突然の事態に弱いらしい。空間移動で遊ぶところを見られるなど、そしてその可能性を考えていなかったなど、あまりに迂闊だった。
だが後悔したところで見られた事実は変わらない。殺してでも口封じするべきだろうか、と、やはり妙なほど冷静な頭が思いつく。いやだがおれには無理だ、と冷静ではない自分が否定する。
ヘッドフォンから流れる音楽は、気怠い間奏に入る。男の白衣が風に靡く。
「……あー、っと」
混乱からの復活は、男の方が早かった。キリトが唐突に現れたところに偶然居合わせてしまった男は、その癖のある黒髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。あるいは男も未だに混乱から回復していないのか、どちらにしろ人の心は読めないキリトに分かるはずもなかった。
男の長い指が、キリトの背後を差す。
「その紙飛行機」
「……うん」
「俺のなんだが」
「……」
反射的に身を翻し、紙飛行機を拾い上げた。よくよく見ればだいぶ大きな紙飛行機で、紙にはグラフらしきものが印刷されていた。それにペンか何かで文字や数式が書き込まれているのも見えたが、あいにくキリトには理解できない類のものだった。どちらにしろ、男の手遊びに作られたものだと言うことはよく分かった。
それを手にもう一度、男に向き直る。紙飛行機は渡さない。
「あのさ、あんた、見たよな」
「お前がいきなり現れたのを、か?」
「そう、それ」
やはり、誤魔化しようはなかった。さてどうするか、と算段を巡らせる背中に冷や汗が落ちる。それでも男から目を離さなかったのは警戒心からだ。目をそらした瞬間に何かアクションを取られれば、決して戦闘向きではないキリトに好ましくない状況に陥ることは火を見ずとも明らかだった。
男の赤紫の目に、剣呑な光が宿るのを見た。
「おまえ、異能者だな」
「……なんだ、あんた、異能者知ってんの」
そしてその言葉が、キリトの中ですべてを繋げた。異能者を知っている、白衣を着た、研究者然とした男。いつか聞いたことがある、異能者を研究する機関がある、と。
「あんた、おれを捕まえるつもり?」
男は答えない。ただ険しい表情でキリトを睨むだけだ。だが沈黙が肯定だ。キリトはじり、と後ろに下がる。フェンスが近い。
「だったらどうする?」
いやに静かに男の声が響いた。
キリトは笑う。
「逃げるだけだ」
長くも短い間奏が終わり、爆発するように歌声が響く。男が声を発するより先に、キリトは身を翻してフェンスに飛びついた。高いフェンスは少年の体重を受けてぎしりと軋む。手が汗ばんでいた。男が何か叫ぶ。そう言えば紙飛行機を手にしたままだった、と気付いてそれを、男の方へ投げつけた。思い切り振り上げられた紙飛行機は、優雅な軌跡を描くことなく無様にコンクリートに落ちる。
男の手がキリトのスニーカーを掴もうとして空を切る。笑ったまま、キリトはフェンスの外側に体を傾け、重力に逆らわず落ちていく。
男の鋭い目が大きく見開かれた。それを見て何があったわけでもないのにざまあ見ろ、と思う。首から提げたネームプレートに、「遠野イツキ」と書かれているのがはっきり見えた。
耳を打つのは風の音と大きく脈打つ心臓の音、そしてシンセサイザーの音だけだ。落ちる、その最中、周囲のすべてがスローモーションに見えた。
ずっと遠くに、高いビルがそびえ立っている。
あとはただ、キリトは念じるだけで良い、「あの屋上へ」。それだけで体は勝手に移動する。
エレクトロニカが終わる瞬間には、キリトの体は、あの屋上へ辿り着いている。
新城キリト…過激派、覚醒したばかりの異能者、髪は黒、目は緑、空間移動と音を操る異能、現状に不満はない
・高校生、17歳くらい。身長は170cm前後。「おれ」「あんた」「お前」など。口調は乱暴ではないが丁寧でもない。
・過激派ではあるが、戦闘能力がほとんどないため自分から戦うことは少ない。
・「自分の視界の範囲の場所」に「自分と自分が手にする物」を移動させることが出来る。あまり遠すぎたり、連続して移動しようとすると頭が痛む。また、手にしていても人を移動させることは出来ない。
・音を操る異能は現段階ではほとんど使えない。自分の耳に入る音量を調節する程度。
・パーカーとジーンズ、スニーカー。ヘッドフォンとプレーヤーは欠かせない。
・使えるものなら使った方が良い、という考え方。よく空間移動で遊ぶ。異能に目覚めたことを後悔も何もしておらず、むしろ人と違うことが出来ることを楽しく思っている。
・同じ異能者を厳しく取り締まる異捜に良い感情を抱いていないが、戦っても負けることは目に見えているので、結果としてあまり過激派らしくない。
遠野イツキ…警視庁異能研究課、異能者、髪は黒、目は赤紫、風を操る異能、最近所属した
・28歳、研究員。化学分析が専門。身長は180cm前後。「俺」「おまえ」「君」など。目上には丁寧語。あまり崩した言葉遣いはしない。
・純血の異能だが、いまいち使い方が分かっておらず風の流れを操る程度しか出来ていない。紙飛行機を飛ばすときに使う程度。手癖が悪く、手持ち無沙汰だとペンを回したり紙飛行機を大量生産する。そして異能でより遠くに飛ばされる。なのであまり戦闘向きではない。
・シャツにネクタイ、スラックス、その上に白衣。首から身分証明証などを入れたケースをぶら下げている。
・技術発展や事実解明のためならある程度の犠牲は仕方ない、という考え方。異研の非人道的な実験などにもあまり嫌悪感は抱いていない。なお、一つのことに集中すると周りが見えにくくなるタイプ。
・一方で自分の異能とははっきりと向き合っていないため、その態度はあいまい。実験対象の異能者と、自分のような異能持ちの研究者は違うのだと線引きをしているが、ではどう違うのかと問われれば答えられない。だからあえて考えないようにしている。
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