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Bernadette
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 何か重い物が床に落ちる音がした。

「あっ」
「……あ」

 教室の扉を開いたわたしが見たのは、黒板の前でクラスメイトが時計を壊している、まさにその瞬間だった。クラスメイトの足下で、銀色のフレームはひび割れ、ガラスは辺りに散乱している。少し離れたところにある、ひしゃげた黒く細長い物は時計の針だった。
 わたしの間抜けた声に僅かに遅れ、クラスメイトが声を上げた。彼と目が合った。困ったような苦しそうな表情だった。

「モトイ君?」
「……」

 彼は答えず、足を動かし更にガラスを踏みつけた。わたしのことなんて知らないと言わんばかりに作業を続ける。呆然としたわたしは彼を止めることなど頭になく、ただその作業をじっと見ていた。
 無残に割れたガラスが差し込む夕日にきらきら輝いて、なんだか不思議な気分だった。
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「トルソーになりたい」

少女がソファーに気怠げに体を預けながら言った。それをデッサンしながら絵描きは問う。

「手足があった方が楽じゃないか」
「そうかしら」

そりゃそうだろう、と絵描きは自分の手を見た。鉛筆を握る手がなければ彼は絵を描くという仕事が出来ない。
少女は不思議そうに首を傾げた。

「でも、不完全なぐらいがちょうど良いと思うの」
「完全な人間なんていないよ。……首、元に戻して」
「ん」
「そもそも、両手両足がなかったら逆に完全な気がするよ、形としてね」

元のポーズに戻った少女がきょとんとした顔をした。それは一瞬で、すぐに納得したような笑顔に変わった。

「なるほど。それじゃあ、無くすとしたら片腕だけ、片足だけの方が良いのね」
「だからって切断する必要はない。言っただろ、完全な人間なんていない」

僕も君も不完全なんだから、と絵描きは言う。少女はにっこり笑って見せた。それをデッサンしようとして、絵描きは止めた。


「黒崎君はどうして煙草を吸うの?」

そう言った夏野は、熱い日差しが照りつける中、長袖のシャツに紺色のネクタイをきっちりと締めていた。暑くないのかと彼女の顔を見るが、夏野は平然とした顔で黒崎を見つめ返してきた。
視線を逸らし、口に銜えていた煙草を灰皿で潰す。肺に溜めた煙を吐き出すと甘い香りがした。白い煙はあっという間に空気に溶けて消えた。

「なんでだろうな」

しばらくの沈黙の後、黒崎は静かに答えた。煙草のパッケージを取り出し、意味もなくふたを開けては閉める。残りは少ない。答えにならない答えに、夏野は興味なさそうに頷いただけだった。

「じゃあ、夏野はどうしていつも長袖なんだ?」

黒崎が煙草を吸う度にふらふらと近寄ってくる彼女は、今もまた、黒崎の横にいた。煙草が好きなのだと言っていた夏野はどんなに暑い日も長袖を着る。それに何か意味はあるのかと尋ねたが、彼女は微妙な顔をして押し黙ってしまった。

「改めて聞かれると答えにくい」
「あー、聞いちゃいけないことだったのか?」
「そう言う訳でも。ただ、普段考えないことだったから」
「いつから長袖ばっかり着るようになったんだ」
「いつだっけ? 中学校? 多分中1くらい」
「そんなもんか」
「そんなもんだよ」

難問を突きつけられたかのように考え込む夏野を傍目に、黒崎は煙草を銜えた。火をつけようとライターを取り出そうとして、それがポケットにないことに気付く。
さらさらと音がした。癖のない夏野の髪が、彼女が首を傾げた拍子に触れ合った音だった。

「なんでだろうね」

苦笑しながら結局は黒崎と同じ答えを出し、夏野は黒崎の煙草に火をつけた。はっと気付いて彼女の手を見れば、

「……手癖が悪いようで」
「まだ良い方だよ、まだね」

ついさっきまで黒崎のポケットに入っていたライターが、夏野の白い手の中で輝いていた。
電池が切れた時計も、バッテリーを外した携帯電話も、椎名を現実から切り離されたような気分にさせた。街中の喧噪は耳に入っても入っても雑音として処理されて、結局は静寂として認識された。椎名はそっと笑った。こんなにうるさいのに静かなんてあまりにも矛盾している。
一人でいるのは嫌いではない。誰かと話すことがない分、街の音がよく聞こえる。一人になりたい時、椎名は決まって街中を徘徊した。男物の黒とスカイブルーのスニーカーを鳴らし、人波をかき分けていく。知らない人の香水の匂いや足音、笑う気配。ゲームセンターから漏れ出る騒音や行き交う車の排気ガス。腐ったような、甘いような、煩いような、心地よいような。全てが混ざり合って一つの雑音になり、そして椎名の世界はそれを静寂として認識する。
ポーズをとるマネキン達で飾られたウィンドウを通り過ぎる。赤信号で足を止めた。通り過ぎていく車が起こす風でセーラー服のスカートや、金色に脱色した髪の毛を揺らした。赤信号で立ち止まる人々は一秒ごとに増えていく。自分の立つスペースがだんだんと小さくなっていく。息苦しい。

「椎名」

雑音で作られた静寂を壊したのは聞き慣れた声だった。振り返るより先に横から肩を叩かれた。
視線を向ける。見慣れた長身がそこにいた。

「せんせー」

ダークグレーのスーツの袖は白と黄のチョークで汚れていた。椎名の間抜けた声に藤堂は怪訝そうな顔をした。
車道側の信号機が黄に変わった。

「なんだ、寂しそうだな」

歩道側が青信号になる。

「なんですか、それ」

動き出した人波に押され、椎名と藤堂は足を踏み出した。せわしげな足音のリズム達を尻目に二人の足は遅く、それを避けるように人々は前へ前へと行ってしまう。

「ただの思いつきだ」
「寂しくなんてないですよ、きっと」
「きっと、なんだろう」
「そうです。きっとです。希望型なんです」
「なら、寂しいんだろう。お前いつも一人じゃないか」
「一人は気楽ですよ。嫌いじゃないし」

スクランブル交差点の真ん中で、椎名と視線を合わせることなく藤堂は言う。

「嫌いじゃないと好きであることは必ずしもイコールじゃないだろう」

彼の声は、雑音として認識されない。

「じゃあ、私は一人が嫌いなんでしょうか」
「それ以上は俺は知らない。自分で考えなさい」

一人でいると街の喧噪がよく聞こえる。けれど、その中に椎名の望む音はない。雑音、のち、静寂。ノイズだらけの椎名の世界はいつだって静かだ。
歩くスピードは遅いままで、信号は点滅を始めていた。

「先生、分かりません」

早足に通り過ぎる他人の背を見つめて、藤堂の袖を小さく掴んだ。椎名の小さな声は雑音の中でも、隣の教師に確かに届いた。彼は怒るでも呆れるでもなく、ただ頷いただけだった。
信号が赤く染まる。藤堂が早く渡ろうと促すように袖を掴まれた腕を引いた。その手首に銀色の時計が一瞬見え、そろそろ腕時計の電池を交換しようか、と椎名はなんとなく思った。


「あのさあ黒崎君、ちょっと良い?」

今日の分の授業を終え、帰り支度をしている時だった。塾講師としての先輩に当たる鳩山がちょいちょいと手招きをしてきた。自分の担当授業に何かあったのだろうかと思ったが、高校一年の英語を担当している黒崎と、高校三年の国語を担当している鳩山に直接的なつながりはない。首を傾げつつ近寄ると、鳩山は無言で事務室の外へ出ようと促した。
大体の生徒が帰り講師が事務室にいる中、廊下にはまったくと言って良いほど人気がない。そのベンチに座ると、鳩山はおもむろに口を開いた。

「悪いな、いきなり」
「大丈夫です。何かありましたか?」
「いや、黒崎君の授業に関してじゃない。まあ関係あると言えばあるんだけどな」

あいまいに言葉を濁らせる鳩山の手が、スーツの胸ポケットに動く。取り出されたのは畳まれた紙片で、開くと住所と名前らしき物が書かれていた。
それを黒崎に差し出し、鳩山は言う。

「実はな、臨時でバイトを頼まれて欲しいんだ」
「バイト、ですか」
「そんな難しいことじゃない。この住所に行って、英語を教えてきて欲しいっていう、それだけ」

紙片を受け取り住所を見る。塾とは真逆の方向で、マンションの一室のようだった。住所の下には電話番号と、名前が書かれていた。

「そのバイトって言うのは、ようするに家庭教師みたいな感じですか」
「そうそう。ちょっと事情があって塾や学校に行けない子なんだよ。だから一回でも良いから、ちょっと英語を教えて欲しいんだよ」

鳩山から提示された内容はアルバイト講師としてはとても魅力的だった。指定された住所に行き一時間程度、高校一年の英語を教えるだけ。一回一万円、つまり時給一万円と言うことになる。とりあえず一回だけだが、先方やこちらの希望があればそれ以降も続けて良い。時間指定はあるが、赴く日は連絡さえしておけばいつでも構わない。
特に迷う必要もなかった。家庭教師というのは初めてだったが、それは授業の対象が数十人から一人に減っただけだ。むしろ大量の視線を浴びない点では一人の方が気楽かもしれない。

「分かりました、やってみます、そのバイト」

そう答えると、鳩山は安堵したように表情を和らげた。

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