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「あのさあ黒崎君、ちょっと良い?」

今日の分の授業を終え、帰り支度をしている時だった。塾講師としての先輩に当たる鳩山がちょいちょいと手招きをしてきた。自分の担当授業に何かあったのだろうかと思ったが、高校一年の英語を担当している黒崎と、高校三年の国語を担当している鳩山に直接的なつながりはない。首を傾げつつ近寄ると、鳩山は無言で事務室の外へ出ようと促した。
大体の生徒が帰り講師が事務室にいる中、廊下にはまったくと言って良いほど人気がない。そのベンチに座ると、鳩山はおもむろに口を開いた。

「悪いな、いきなり」
「大丈夫です。何かありましたか?」
「いや、黒崎君の授業に関してじゃない。まあ関係あると言えばあるんだけどな」

あいまいに言葉を濁らせる鳩山の手が、スーツの胸ポケットに動く。取り出されたのは畳まれた紙片で、開くと住所と名前らしき物が書かれていた。
それを黒崎に差し出し、鳩山は言う。

「実はな、臨時でバイトを頼まれて欲しいんだ」
「バイト、ですか」
「そんな難しいことじゃない。この住所に行って、英語を教えてきて欲しいっていう、それだけ」

紙片を受け取り住所を見る。塾とは真逆の方向で、マンションの一室のようだった。住所の下には電話番号と、名前が書かれていた。

「そのバイトって言うのは、ようするに家庭教師みたいな感じですか」
「そうそう。ちょっと事情があって塾や学校に行けない子なんだよ。だから一回でも良いから、ちょっと英語を教えて欲しいんだよ」

鳩山から提示された内容はアルバイト講師としてはとても魅力的だった。指定された住所に行き一時間程度、高校一年の英語を教えるだけ。一回一万円、つまり時給一万円と言うことになる。とりあえず一回だけだが、先方やこちらの希望があればそれ以降も続けて良い。時間指定はあるが、赴く日は連絡さえしておけばいつでも構わない。
特に迷う必要もなかった。家庭教師というのは初めてだったが、それは授業の対象が数十人から一人に減っただけだ。むしろ大量の視線を浴びない点では一人の方が気楽かもしれない。

「分かりました、やってみます、そのバイト」

そう答えると、鳩山は安堵したように表情を和らげた。

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