忍者ブログ
Admin*Write*Comment
Bernadette
[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「あ」
「あ」
「あ。……いらっしゃいませー」
「きーちゃんここで働いてたのか。知らなかった」
「俺も塾講師と喫茶店だけかと思ってた」
「無駄話は良いからさっさと決めてよ後ろ詰まってんだから」
「んじゃ俺カフェオレ……ちょっと待ってやっぱりなし抹茶フラペチーノで」
「サイズは?」
「トールで」
「かしこまりましたー」
「クロりんは?」
「んじゃー、ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノで。あ、トールで」
「……」
「…………」
「すいません睨まないでください」
PR
412
 綺堂の塾の教え子が死んだ。駅のホームから突き落とされたのだという。駅を通過する電車だったようで、その遺体は木っ端微塵で身元の判別も危ういところだった。
 事故ではなかった。誰かに押されて落ちた、その瞬間を見ていた人々が多くいるからだ。フードを深く被った細身の誰かが、その背を押したのだという。
 犯人は見つかっていない。

 ただの講師である綺堂はその生徒の葬式に参加する訳でもなく、一人少なくなった教室でいつも通りの授業をした。淡々と話し、数式を解かせ、解説した。講師室に戻っても同様で、担当クラスの進捗状況や各生徒の小テストや宿題の具合をメモした。ほかの講師たちと当たり障りのない話をし、そして塾をあとにした。
 駅まで歩く道すがら、死んだ生徒がどんな生徒だったのか、思い出した。ごくごくふつうの少女だった。数学が苦手でいつも五十点をとるかとらないの成績だったはずだ。髪が長く、わずかに脱色していた。携帯電話をいじり、ほかの女子生徒と楽しげに話していた。それは授業中も授業外も同じで、授業中の私語には綺堂もわずかながら困っていた。
 逆に言えばそれくらいしか思い浮かばなかった。その少女の人となりはそれ以上わからない。優しかったのか短気だったのか好きなアイドルはいたのか趣味は何だったのか。
 思考を止める。信号が青になり、早足で横断歩道を渡った。もうやめよう、と頭を振った。考えてもどうしようもないことを続けても意味がないのはわかりきったことだった。身近な他人が死ぬことに動揺し、頭が固まっているだけだと綺堂自身も自覚していた。冷静になろうと深呼吸をする。ただ、背中に冷たい物を流し込まれたかのような感覚を覚えた。
 駅に入ると帰宅者の波に飲み込まれた。スーツ姿の男女の間をくぐってホームに向かう。あと五分で電車がくる。
 あの少女もこうやって電車に乗ろうとしていたのか、ふと思った。振り向いた先に綺堂の背を押す者などいない。いてもそうだとはわからないだろう。人がいつ死ぬかなど誰にも知ることは出来ない。それでいいのだと言い聞かせた。突き落とされて死んだ少女の顔が一瞬思い浮かんですぐ消えた。
 41は人殺しだ。正確に言うならば人殺しを生業とする人殺しだ。いわゆるところの殺し屋に近い。家と言った家はなく、トランク一つ、それだけが41の私物にあたる。ふらふらと旅でもするように街の中をさまよい歩き、時々人を殺し、生きている。
 シャワーの栓を閉めると浴室に元の静けさが戻った。白い湯気が体から立ち上っている。曇った鏡をぬぐう。41自身の平らな体が映った。しばらくぼんやりとそれを見ていた。普段は服に隠れた肌は病人のように白かった。
 家主のいない部屋を、タオルで髪の水気を拭きながら横断する。クローゼットの中を物色して適当な服を見つけ、冷蔵庫を開けてペットボトルの炭酸水に口をつける。中に入っていたプリンを食べながらテレビをつけると、人が線路に落とされる事件が報道されていた。
 良くないなあ、とプリンを食べながら思う。人を線路に突き落とすのはよろしくない。少なくとも41はしない。何故わざわざそんな危険なことをするのか、そもそも人を殺すならばもっと安全なやり方があるはずだ。そこまで考えて、まあ自分の考える事じゃないよなあ、と思考することを止めた。食べ終えたプリンのカップをゴミ箱の奥深くに隠すように捨てた。
 さて、と一息つく。物色した服の中から良さそうな物を選び、着替えた。いつものようにフードを深く被る。ついでに棚の奥に隠されていた一万円札数枚をトランクに詰め込んだ。来た時よりも美しく、とは言わないが、来た時と変わりないように部屋を整えた。
「おじゃましましたー」
 にっこり笑って41は見知らぬ誰かの部屋を後にした。
 ざくざくざくざく。
 氷をかじる。氷を砕く。細かく細かく細かく細かく。もともと細かい氷をさらに刻む。かじる。口の中で溶けきる前に何度もかじる。じゃりじゃりとした感触は、食べたこともない砂に似ている。
 くろさきぃ、と呼ぶと、灰色の浴衣を着た男が振り返った。片手には巾着袋を下げ、片手は幼い少女の手を握っていた。なんだよ、と言われて別に、と返す。安っぽいレモンの味はレモンとは思えないほどに甘い。口の中は黄色に染まっていることだろう。
 ざくざくざくざく。
「ギンおねえちゃん?」
 黒崎の右手をつかむ子供が問う。ギンコとこれっぽちも似ない妹は、不思議そうにギンコを見ていた。それに気づかないふりをして薄黄色い氷を口に放り込む。溶けることを許さないとでも言う勢いで、噛む。
 黒崎は苦笑していた。巾着を下げた方の手で指し示したのは綿飴の屋台だった。リン、綿飴食べないか? 妹は素直にうなずいた。ピンクに流行の魔法少女がプリントされた綿飴をねだり、黒崎は微笑みながらそれを店の主に頼んだ。うれしそうなリンの、柔らかな帯が揺れる。端が桃色のそれは金魚のおびれのようだ。それは、少女の浴衣が華やかなオレンジだからかもしれない。ギンコは自分の姿を見た。赤地に柔らかな曲線と花が咲いた図柄の浴衣に山吹色の帯を締めている。祭りに浮かれる集団の一部にぶつかりそうになったが無視した。結果的にぶつかったがお互い視線を交わしただけだった。
 ざくり。
 店主から渡された綿飴の袋を、黒崎はリンに渡した。つないでいた手を離し、目に痛いほどのピンク色を抱えて妹は笑った。黒崎もまた笑い、整えられた髪型を崩さないよう慎重に少女の頭をなでた。
 ちゃぷん。
 もう氷の音はしない。手の熱で溶け出した氷はもはや液体で、それ以前にギンコの胃袋に九割近く収められていた。口の中だけではない、食道も胃も黄色く染まっていることだろう。そのうち血まで色が変わってしまうかもしれない。だったら青が良いなあとギンコはうそぶいた。
「くろさきぃ、次」
「腹壊すぞ。ブルーハワイ?」
 答えは返さなかった。自分の思考を読まれたのか、うそぶいた言葉が届いていたのか。苦い顔で黒崎はかき氷屋に足を向けた。上機嫌のリンがそのうしろに続く。一人待つのもしゃくだったので、ギンコもきっちり五歩分離れてついていった。人の多い夏祭りの中で、不思議と前の二人がはっきり見えた。通りすがりのカップルが仲睦まじげに寄り添い歩いている。この暑い中ごくろうさん、といつもの毒を吐きそうになってこらえた。吐いたところできっと、聞こえないだろうとは分かっていたのだが。
 自分が刻むよりも噛むよりも強い音を立てて氷は削られ細かくなっていく。見るからに体に悪そうな青色がたっぷりと器に注がれる。きらきらした目でリンがそれを見ていた。
 差し出されたプラスチックカップを受け取り、空になったカップを前に置かれたゴミ箱に放った。黙々と氷を削り続ける店主に四百円払ったのは黒崎だった。大食いのこの男が、出店の多いこの場所で何も口にしていないのが奇妙だった。代わりと言わんばかりにギンコが食べるかき氷の代金を、リンが欲しがるリンゴ飴やお面やたこ焼きの代金を支払う。まるで下働きみたいじゃないかといつものように言おうとして結局言う気力はなく、ただうずたかく積もった氷の山を崩すにとどめた。
 かけられた青色のシロップが氷の白色を全体的に青く染め、そうしてようやくギンコは氷を食らう。物欲しげなリンに一口差しだし、笑う少女にようやく笑い返し、食べることに集中する、ふりをする。こんなにも必死になってふりをし続ける自分を誰か笑ってくれればいいのに、心優しい少女は人を嘲ることを知らないし、男は淡々とした目でただこちらを見る。黒崎は表情や雰囲気から感情を読みとるのは簡単なのに、こう言うときに限っては目から読みとるのはなかなかに難しい。ふとこの男の目を抉りとることは出来ないだろうかと思った。そうしたら感情読解も楽になるのではないだろうか。
 ざくざくざくざく。
 ひらりと視界の端で桃色が踊った。ひれか、はたまた天女の羽衣か、揺れたのはリンの帯だった。ギンおねえちゃん、黒おにいちゃん、あれ見て、あれ。幼い指先が示したのは金魚すくいの屋台だった。そのとたん、黒崎の顔に活気が出てきた。ああそうか、と苦笑したのはギンコだった。この男は金魚すくいがとんでもなく上手いのだった。
 ざく、ざく。
「金魚! 赤いの!」
「とるよ。何匹ほしい?」
「んー」
 くい、とギンコの浴衣の袖を引き、見上げてきたのはリンだった。
「ギンお姉ちゃん、金魚、何匹いればさみしくないかなあ」
 純粋さで輝いた目がただひたすらにギンコを見つめていた。手の中の冷たさをその一瞬だけ忘れギンコは考えた。ああそうか、一匹だと寂しいのだろう。では二匹はどうだろう。それもまだ寂しいかもしれない。では三匹は? 四匹は?
 ブルーハワイは海の色をしている。
「たくさんいれば、寂しくないだろ」
 もうすでに金を払いポイを手にした黒崎が、なんてことはないかのように言った。でもいっぱいいすぎても水槽狭くなっちゃうよ、と妹は必死の形相でしがみついた。それこそ海であればいいのに、とブルーハワイを見ながら思った。
 もしかしたらここは海なのかもしれない。人に紛れながら考える。こんなにも広い場所なのに夏祭りの今だけはひどく息苦しい。人にぶつかる。ここは海なのかもしれない。しょせん広い海も増え続ける魚のせいで狭くなる。ああだからリンの浴衣の帯はおびれなのだ、とまったくどうでもいいことで納得した。自分も、リンも、黒崎も、しょせんは魚なのだ。泳ぐべき海で狭そうに間借りしているひとつの魚にすぎない。奇妙な話だ、皆着ている浴衣も顔も何もかも違うというのに、群れる魚と同じようにしか見えないのだ。似合わない浴衣に汗がしみこむ。
 答えないギンコにしびれをきらしたのか、黒崎がポイを慎重に水に濡らした。彼ならばポイ一本で何匹でもとってみせるだろう。その隣にリンがしゃがみこんだ。お椀を片手に黒崎は言う。ちょうど良い数になったら言えよ。金魚が水槽の大きさにふさわしい数になったら、そこで止めるから、と。
 だったら五匹が良い。夏の夜の暑さと祭りの熱気と手の温かさで溶けだしたかき氷をほおばる。がりり。ひときわ大きい氷をかじった。カナちゃんと、リンと、ゼンと、九条と、自分と、あまり家にいない両親は数に入れなくても怒られないだろう。これで五匹、五人分になる。すでに一匹捕まえた黒崎が、リンに言われて小さな金魚をねらっていた。リンと黒崎の楽しげな横顔が屋台の灯りに照らされまぶしかった。遊びにふける子供の表情は、リンだけではなく黒崎まで幼い頃に戻ってしまったように見えた。
 ああそれならば、五匹では足りないかもしれない。
「なあ黒崎、俺、六匹が良いと思う」
「六匹?」
「んで、最後の一匹は黒な。けってーい」
 赤い金魚たちから少し離れて悠々と泳ぐ、黒い出目金と目があった気がした。目から感情を読みとくのは、やはり難しい。


 不機嫌なのは決して、祭に来たからではない。そもそも自分が不機嫌な理由などギンコ自身にも分からない。あるいは不機嫌ですらないのかもしれない。強いて言うならば、女らしさのかけらもない自分が随分と女々しい浴衣で着飾っていることだろうか。慣れない格好は随分と自分の気分をみじめにさせた。こんな似合わないの俺が着てどうするんだよ、うり二つの顔をしているはずなのにまるで別人のような双子の妹を思い浮かべた。彼女が着たならば、この浴衣もまた違ったかもしれないのに。
 暴食は罪らしい。それは日本で言う罪ではなく、宗教的な意味での罪であり、いわゆる七大罪の一つだ。講義でそんなことを言ってたんだと新田が言っていた。
 それならば、自分がこうしてホームから線路に突き落とされることは罪に対する罰なのだろうかと黒崎は思った。強く押された背中はぐらりと前へ傾き貞享を飲み込めないまま線路に落ちた。痛かった。
 ホームを見上げると、燃えるような目で見知らぬ女が黒崎を睨みつけていた。死んでしまえ、と、電車が来ることを告げるアナウンスに混じって聞こえた。
 俺は何か、殺されなければいけないことをしたのだろうかと考えて、思いついたのが暴食だった。暴食というよりかは大食いと言った方が正しいかもしれない。昔から人一倍どころか二倍も三倍も食べなければ満たされない食欲の持ち主だった。
 死んでしまえ、と女は言った。周囲の人々が何かを叫んでいる。電車が来る。憎悪か怒りか、激情に荒れ狂う目を見つめて黒崎は笑った。知るか、ばーか。
  • ABOUT
ネタ帳。思いついた文章を投下するだけの場所。
  • カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
  • プロフィール
HN:
瑞樹
性別:
非公開
  • ブログ内検索
Copyright © Bernadette All Rights Reserved.*Powered by NinjaBlog
Graphics By R-C free web graphics*material by 工房たま素材館*Template by Kaie
忍者ブログ [PR]