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 走っていた。
 何に追われているかも分からず、ただ走っていた。足の裏が地面を踏みつけ、息が上がって酸素が回らない。頭も、腹も、体のその辺り全てが痛かった。ぬるぬるとした感触がした。額から流れた汗と、目から零れた涙だった。
 後ろをひたひたとついてくるのは一体何なのか、振り返る余裕もなく、勇気もない。黒崎はただ走った。髪の毛が針金のように肌を突き刺し、そのたびちりちりとした痛みが感覚として残る。汗でべたついた肌に服が更に張り付いてくる。やめてくれ。誰に対してなのか、何に対してなのか、黒崎自身にも分からない言葉を張り上げた。声は真っ正面の暗闇に飲み込まれていく。気付けば周りは全て暗闇だった。自分の体だけが、光を発している訳でもないのにはっきりとした輪郭を持っていた。走っている地面も本当に存在しているのか定かではない。ぞっとした。悪寒と疲れに足が止まりそうになり、必死になって自分の体を動かした。
 やがて足音がなくなった。ただしそれは自分の足音だけだった。裸足でフローリングを歩くような微かな足音だけが鮮明に聞こえた。次に黒崎自身の呼吸が聞こえなくなった。切れた息がまったく感じられなくなり、自分の耳が狂ってしまったのかと不安になる。だがそれは杞憂で、いまだに足音は聞こえていた。
 足音は止まない。静かにゆっくりと、だがしかし確実に近付いていた。やめてくれ。もう一度叫んだ。発したはずの声はどこにも響かず、暗闇に消える。見下ろした自分の足が動いていないことに気付いた。それは動いていないというよりは、消えかかっているといった方が正確だった。恐怖が喉元までせり上がってきている。それでも伸ばした手は、指先から消えかかっていた。
 足音が聞こえる。
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