収集家たる冬峰を訪ねてくる客は多い。彼が珍しい物を好んで収集する、そう言う人物だという前提の元にやってくる彼らは何かしらの問題を抱えてくることが多い。冬峰は彼らに対して名は尋ねない。そして同情する訳でも、突き放す訳でもない。ただ彼らの訪問を受け入れ、話を聞く。抱えてくる問題の大半は珍品を巡ってのもので、冬峰が集めた珍品は私の物だから返してくれと言われれば返し、持ってきた物をどうか受け取ってくれと言われれば受け取る。
つまり、冬峰は集めることに執着しているのであって、集めた物に執着は何も無いのだ。その珍品が増えることにも興味はない。彼の目的は何かを収集すること、それのみなのだと夏野は理解している。
冬峰の自宅は洋館で、屋敷の造りは多くの人の訪問を前提にしており、客間や応接室、二十畳ほどの小さなホールが広くとられている。大正時代や明治時代を思わせるレトロな造りの館は一人で住むには十分広い。
総部屋数の半分は使われていない、もしくは倉庫にされているであろうその館の中で、夏野は虎を見た。
「……」
倉庫代わりにしている部屋の扉が薄く開き、そこから体を滑らせるように白い虎が出てきた。虎はしなやかに体を動かし廊下の奥へ、夏野のことなど見えていないように歩いていった。
その姿が曲がり角で見えなくなったところで、夏野の肩からスケッチブックの入った鞄が滑り落ちた。さて何事だろうと考えた。冬峰はいつの間に虎を飼っていたのだろうか。しかも、白い虎である。そこまで思って自分が馬鹿げたことを考えていることに気付き、思わず苦笑した。たかだか動物が家の中を歩いていただけだと考えると、そう深刻なことにも思えなくなった。勿論それはただの思い違いであることは分かっていたが、考えるだけ無駄なことが世の中にはたくさんある。
「冬峰さーん」
落ちたバッグを拾い上げ、夏野は書斎に向かって声を掛けた。一拍遅れて返事が戻ってくる。冬峰は今日も書斎に篭もりきりだったらしい。不健康だと思いつつも夏野も実際は似たような生活をしているので人のことは言えない。学校に残してきたエプロンが頭の中をよぎった。薄汚れたエプロンも、そろそろ洗い時だろう。
本棚で囲まれた書斎を覗くと、冬峰が振り返って夏野の方を向いた。
「あ、冬峰さん」
「夏野、ちょうど良かった」
「はい?」
いつものように何を考えているのか分からない顔をした冬峰は、しかし困ったような声を上げた。なんでしょう、と答えると、年齢のよく分からない顔に懇願するような笑みが浮かんだ。
「お前、美大生だろう。絵、描けないか」
「絵、ですか」
「困ったことになった」
「どうせロクでもないことでしょう」
「ああ、いつものことじゃないか」
皮肉をこめた夏野の言葉に肩を竦めて返し、冬峰が見せたのは掛け軸だった。端が経年劣化で黄ばみ、それなりに古いことが窺えた。薄墨色で木々や岩が描かれているが、それだけだった。一際目を引くような物は何も描かれていない。
夏野が首を傾げると、冬峰はますます弱ったような表情をした。
「絵が消えた」
「はあ、消えましたか。劣化で?」
「まさか」
「というと」
「自分から出て行った」
当然のように言ったおかげではいそうですか、と簡単に頷きそうになったが、慌ててこらえる。とりあえず落ち着こうとため息をつき、鞄をひとまず書斎の隅に置いた。
「掛け軸の絵はいつから動くようになったのですか」
「さあな。絵は動かない物と昔から相場が決まっているが」
「変なことですね」
「ああまったく変なことだ。だから価値があるんだろう」
「絵が勝手に動くと言うことが?」
「動かないただの掛け軸を私が収集すると思うか?」
一拍おいて答える。
「まあ、思いませんね」
「だろう」
考えるだけ無駄なことが世の中にはたくさんある。
つまり、冬峰は集めることに執着しているのであって、集めた物に執着は何も無いのだ。その珍品が増えることにも興味はない。彼の目的は何かを収集すること、それのみなのだと夏野は理解している。
冬峰の自宅は洋館で、屋敷の造りは多くの人の訪問を前提にしており、客間や応接室、二十畳ほどの小さなホールが広くとられている。大正時代や明治時代を思わせるレトロな造りの館は一人で住むには十分広い。
総部屋数の半分は使われていない、もしくは倉庫にされているであろうその館の中で、夏野は虎を見た。
「……」
倉庫代わりにしている部屋の扉が薄く開き、そこから体を滑らせるように白い虎が出てきた。虎はしなやかに体を動かし廊下の奥へ、夏野のことなど見えていないように歩いていった。
その姿が曲がり角で見えなくなったところで、夏野の肩からスケッチブックの入った鞄が滑り落ちた。さて何事だろうと考えた。冬峰はいつの間に虎を飼っていたのだろうか。しかも、白い虎である。そこまで思って自分が馬鹿げたことを考えていることに気付き、思わず苦笑した。たかだか動物が家の中を歩いていただけだと考えると、そう深刻なことにも思えなくなった。勿論それはただの思い違いであることは分かっていたが、考えるだけ無駄なことが世の中にはたくさんある。
「冬峰さーん」
落ちたバッグを拾い上げ、夏野は書斎に向かって声を掛けた。一拍遅れて返事が戻ってくる。冬峰は今日も書斎に篭もりきりだったらしい。不健康だと思いつつも夏野も実際は似たような生活をしているので人のことは言えない。学校に残してきたエプロンが頭の中をよぎった。薄汚れたエプロンも、そろそろ洗い時だろう。
本棚で囲まれた書斎を覗くと、冬峰が振り返って夏野の方を向いた。
「あ、冬峰さん」
「夏野、ちょうど良かった」
「はい?」
いつものように何を考えているのか分からない顔をした冬峰は、しかし困ったような声を上げた。なんでしょう、と答えると、年齢のよく分からない顔に懇願するような笑みが浮かんだ。
「お前、美大生だろう。絵、描けないか」
「絵、ですか」
「困ったことになった」
「どうせロクでもないことでしょう」
「ああ、いつものことじゃないか」
皮肉をこめた夏野の言葉に肩を竦めて返し、冬峰が見せたのは掛け軸だった。端が経年劣化で黄ばみ、それなりに古いことが窺えた。薄墨色で木々や岩が描かれているが、それだけだった。一際目を引くような物は何も描かれていない。
夏野が首を傾げると、冬峰はますます弱ったような表情をした。
「絵が消えた」
「はあ、消えましたか。劣化で?」
「まさか」
「というと」
「自分から出て行った」
当然のように言ったおかげではいそうですか、と簡単に頷きそうになったが、慌ててこらえる。とりあえず落ち着こうとため息をつき、鞄をひとまず書斎の隅に置いた。
「掛け軸の絵はいつから動くようになったのですか」
「さあな。絵は動かない物と昔から相場が決まっているが」
「変なことですね」
「ああまったく変なことだ。だから価値があるんだろう」
「絵が勝手に動くと言うことが?」
「動かないただの掛け軸を私が収集すると思うか?」
一拍おいて答える。
「まあ、思いませんね」
「だろう」
考えるだけ無駄なことが世の中にはたくさんある。
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