キャンバス一杯に描かれた花と、それに埋もれる女性の絵が、壁に掛けられていた。女性は目を閉じ、僅かながら口の端を上げて微笑んでいた。花の色にはありとあらゆる色が使われ、代わりに女性はモノトーンだ。髪は黒く、肌は白い。胸元で組まれた手と顔以外、女性のパーツは全て花に埋もれている。唯一の色は、唇のうっすらとした桃色だった。
「夏野、お前にはこの女性がどうしているように見える?」
いつの間にか冬峰が後ろにいた。さっきまで別の絵を見ていたはずの彼は夏野と同じように絵を見ていた。
「……眠っているように」
「嘘だな」
間髪入れず冬峰が言う。確かにその通りだった。適当に答えただけだった。夏野の目にはこの女性が眠っているようには到底見えなかった。
「死んでいるようだな。棺桶に一杯の花を詰めて、死化粧をして」
冬峰のその言葉に、夏野はただ頷いた。鮮やかなようでいて中心であろう女性はどこまでも単純な色で表現されている。白と黒、そして胸で組まれた手。真っ先に死を連想した、そんな絵だった。
一歩後ろに下がり冬峰の横に並ぶ。彼の表情を盗み見ると、いつものように何を考えているのか分からない顔をしていた。手にした扇子は今は閉じられている。手首からのぞく時計の短針は四を指していた。そのことに夏野は少なからず驚いた。この展示場に来たのは三時を回るか回らないかといった時間帯だったはずだ。入ってすぐ、夏野はこの絵を見つけた。一時間近くこの絵に見入っていたらしい。自覚すると足の痛みや体の倦怠感が一気に迫ってくる。ため息をついた。
「私は、ずっとここでこの絵を」
「そうだな、ちょうど一時間といったところかな」
「で、その間冬峰さんは何を」
「他の絵を見つつ、お前がいつまでそこに根っこを張っているのか観察していた」
「だったらもっと早く声を掛けてくださいよ」
渋面を作って言うと、冬峰はからかうように笑ってみせた。
「それで、お前はこの絵が気に入ったのか?」
もう一度、壁に掛けられた絵を二人で見る。赤、青、黄、紫の花、白い顔、手、黒髪、唇の桃色。ありとあらゆる色が使われ混沌とした画面に描かれた女性は美しかった。だがその美しさには退廃的な匂いが漂い、夏野はただ眩暈を感じた。
冬峰が畳んだ扇子で、絵の横を指した。つられてそちらを見る。絵の大きさにまったく合わない大きさの紙が壁に貼られていた。素っ気ない白い紙にはやはり素っ気ない黒で、作品のタイトルと作者が書かれていた。
「マリア、か」
おそらくは女性の名だろう、絵のタイトルを冬峰が読み上げた。静かな展示会場にはその声は響かなかった。
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