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 やりきれない気分だった。
 時速百キロで流れていく景色は光が尾を引いていた。ネオンの輝きが目に痛い。ガラスに映った少年の顔は不機嫌そうだった。頬にガーゼを貼った少年は、まぎれもない自分自身だった。癖の強い髪は顔の横辺りだけ少し長い。横髪を掻き上げ耳を露出させると、白い耳たぶに小さな穴が開いていた。数ヶ月前に開けたピアス穴は、日々塞がっていく。
 やりきれない気分だった。ガラスから顔を背けると、自分の横にライターと煙草の箱が置かれているのに気付いた。運転席の男が放ったのかもしれない。黒地に緑のラインが入った煙草だ。健康に悪いのだというメッセージが奇妙に明るく浮かんでいた。過ぎ去った街灯が一瞬だけ車内を照らした。パッケージのセロハンが真っ白に光ってまた真っ黒に戻った。
 手を伸ばした。黒い箱は軽かった。蓋をあけようとする指が震えていた。小さく舌打ちをして、その震えを見なかったことにした。ことさらゆっくりとした動作で一本取りだし、口に銜えた。かちかちと音をたててライターに火をともす。車内の空調で小さな火はゆらゆら揺れた。口に銜えた煙草に火を近づけ、炙る。
「そうじゃない」
 今まで黙っていた、運転席の男の声だった。驚きに手からライターが落ちそうになった。咎められるだろうか、という気まずい思いと、何故いきなりこんなことをしてしまったのかという罪悪感がよぎった。
 だが、運転席の男は叱るでもなく、バックミラーで少年を見ながら淡々とした声で続けた。
「炙るだけじゃダメなんだ。それだと不味くなる」
「…………」
「銜えて……ライター近づけて、火ィつけて、そう、息を吸う」
 いつも男がしているように中指と薬指で煙草を挟み、先端に火を近づけた。揺れるライターの火は空調のせいだけではない。吸った息には煙草の匂いが混ざっていた。喉を突く煙の感触と、舌を刺激する甘い香り。吸ったのは一瞬で、すぐに口から離して咳き込んだ。喉の奥が痛んだ。
 指に挟んだ煙草からは、白い煙があがっている。
「初めての煙草はどうだ?」
 咳き込む少年をからかうでもなく、運転席の男は問う。
「最悪だ」
 正直に答えると、男は笑ったようだった。バックミラーを見ると、薄い色のサングラスの奥でひどく優しい目をしていた。
 ぼんやりバックミラーを見ていると、男がひょいと何かを放った。慌てて受け取ったそれは携帯灰皿だった。煙草は未だ赤くくすぶっている。その先端の灰がこぼれる前に、蓋を開けて灰皿の中に落とした。小さな音は車の稼働音に飲み込まれ、おそろしく小さく聞こえた。半分以上残っていた煙草も同じように、火を潰してから灰皿に捨てた。オレンジがかった赤色は真っ暗な灰皿の中で明るく光っていたが、それもすぐに収まる。後に残るのは黒色だけだった。
 灰皿の蓋を閉め、横に置く。煙草の箱を開けっ放しにしていたことに気付いて閉めたが、また開けた。一本取り出し、火をつけないまま銜えた。
 力を抜いて、シートに体を委ねた。今まで忘れていたはずの頬の痛みが今更のように襲ってきた。そう痛くもないはずなのに、泣きたい気分になった。
 もう一度、言われたとおりに火を近づけて炙りながら息を吸う。今度は咳き込まなかった。嗅ぎ慣れた匂いがした。運転席の男の匂いだった。
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