住宅街の間を縫うように走る線路に並ぶように、細い道が通っている。人が両手を広げた程度の幅しかない道に、人の背丈を超すほどのひまわりがずらりと並んでこうべを垂れていた。
あまりの暑さに目の前が揺らいでいる。青空と白い入道雲が疎ましかった。汗を手で拭いながら黒崎はひたすらに歩いた。ろくに舗装されていない道は、歩くたびにじゃりじゃりと音を立てた。その熱せられた砂利と刈られた草の甘い匂いがどこか懐かしかった。
遠くで踏切の音が鳴っている。それに気づいた時には電車がすぐとなりの線路を走っていた。轟音。ひまわりが風で揺れた。太陽を模した大輪の花が、潰れた人の顔のように見えて吐き気がした。
もちろんそんなものは幻だ。何の罪もないひまわりは暑さにうなだれているだけだった。それでも一度植え付けられたイメージは強烈すぎて、そう簡単には拭えない。
あまりの暑さに目の前が揺らいでいる。青空と白い入道雲が疎ましかった。汗を手で拭いながら黒崎はひたすらに歩いた。ろくに舗装されていない道は、歩くたびにじゃりじゃりと音を立てた。その熱せられた砂利と刈られた草の甘い匂いがどこか懐かしかった。
遠くで踏切の音が鳴っている。それに気づいた時には電車がすぐとなりの線路を走っていた。轟音。ひまわりが風で揺れた。太陽を模した大輪の花が、潰れた人の顔のように見えて吐き気がした。
もちろんそんなものは幻だ。何の罪もないひまわりは暑さにうなだれているだけだった。それでも一度植え付けられたイメージは強烈すぎて、そう簡単には拭えない。
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「悲しそうだ」
指さされた絵に一言、いつの間にかハジメの横にいた、見知らぬ青年がコメントした。眠気でぼんやりとした目を横に向ける。ハジメより頭一つ分身長の高い青年は無表情に壁に掛けられた絵を指さしていた。
今度は、絵の方を見る。シンプルな額に飾られた月の絵になんら深い意図は見えなかった。
「悲しそう?」
「ああ」
「じゃあ、悲しいんだろうね」
「そうなんだろうな」
ハジメの小さな声に青年もまた、小さな声で答えた。話したのはそれだけで、あとは二人、静かな美術館の中でただただ立ち尽くした。お互い視線を交わす訳でもない。青年が悲しげだと評した絵の前で静かに肩を並べていた。
四時までには病院に着く予定だった。
しかし、気付いた時には時計は六時を回り、ハジメは未だ電車の中で揺られていた。美術館を出て、電車に乗って、そのまま寝てしまったのだとしばらく考えて気付いた。あちゃー、と声には出さずに呟いた。乗った頃にはがらがらだった車内は、今は人で溢れている。ハジメの目の前では高校生らしい少年がこっくりこっくり船を漕いでいた。やあ仲間。これもまた声には出さずに少年に呟きかけた。
環状線をぐるぐる周り、電車を降りて病院に着いた頃には初夏の空は夜色に変わっていた。暑さの残滓を引きずるような風がハジメの長い髪を揺らした。
指さされた絵に一言、いつの間にかハジメの横にいた、見知らぬ青年がコメントした。眠気でぼんやりとした目を横に向ける。ハジメより頭一つ分身長の高い青年は無表情に壁に掛けられた絵を指さしていた。
今度は、絵の方を見る。シンプルな額に飾られた月の絵になんら深い意図は見えなかった。
「悲しそう?」
「ああ」
「じゃあ、悲しいんだろうね」
「そうなんだろうな」
ハジメの小さな声に青年もまた、小さな声で答えた。話したのはそれだけで、あとは二人、静かな美術館の中でただただ立ち尽くした。お互い視線を交わす訳でもない。青年が悲しげだと評した絵の前で静かに肩を並べていた。
四時までには病院に着く予定だった。
しかし、気付いた時には時計は六時を回り、ハジメは未だ電車の中で揺られていた。美術館を出て、電車に乗って、そのまま寝てしまったのだとしばらく考えて気付いた。あちゃー、と声には出さずに呟いた。乗った頃にはがらがらだった車内は、今は人で溢れている。ハジメの目の前では高校生らしい少年がこっくりこっくり船を漕いでいた。やあ仲間。これもまた声には出さずに少年に呟きかけた。
環状線をぐるぐる周り、電車を降りて病院に着いた頃には初夏の空は夜色に変わっていた。暑さの残滓を引きずるような風がハジメの長い髪を揺らした。
鮮やかな翼に似たオレンジと青を開く極楽鳥花を一本、彼はそこにいた。
ストレリチア。統一性のない色を持つ、架空の鳥に似た植物。
「花ってさ、いつか枯れるから綺麗なんだと思う」
ない花瓶の代わりに縦長のグラスに水を注いで花を生ける。花屋で買ったという一本はしおれることなく姿を保っている。緑の茎に小さな鳥が一羽止まっているようだった。
「よく分かんないけどさ。この花がずっとこのままなら、おれはきっと、持って来なかった」
「……」
「よく、分かんないけど」
もう一度繰り返して彼はソファーに身を沈めた。甘い煙草と僅かな汗のにおいが一瞬香り、すぐに消える。彼が放り投げたジャケットがフローリングに落ちる前に受け取りハンガーに掛けた。
ジャケットには彼の匂いが強く強く染み付いていた。紅茶に似た煙草の匂いが呼吸をするたびに嗅覚を刺激する。
「どうして花って枯れるんだろうな」
振り向くと、彼が指先で極楽鳥花をいじっていた。
「でも、枯れるからこそ綺麗なんだろう」
数分前に彼が発した言葉をそのまま返す。彼はゆるやかに笑って見せた。はばたくことなき極楽鳥は彼の指先で鮮やかに咲き誇っている。枯れる瞬間まで、彼はきっとその花を愛すだろう。そして枯れた時、きっと悲しむに違いない。続かないからこそ美しい。彼はきっとそれを、心の底から知っている。
ストレリチア。統一性のない色を持つ、架空の鳥に似た植物。
「花ってさ、いつか枯れるから綺麗なんだと思う」
ない花瓶の代わりに縦長のグラスに水を注いで花を生ける。花屋で買ったという一本はしおれることなく姿を保っている。緑の茎に小さな鳥が一羽止まっているようだった。
「よく分かんないけどさ。この花がずっとこのままなら、おれはきっと、持って来なかった」
「……」
「よく、分かんないけど」
もう一度繰り返して彼はソファーに身を沈めた。甘い煙草と僅かな汗のにおいが一瞬香り、すぐに消える。彼が放り投げたジャケットがフローリングに落ちる前に受け取りハンガーに掛けた。
ジャケットには彼の匂いが強く強く染み付いていた。紅茶に似た煙草の匂いが呼吸をするたびに嗅覚を刺激する。
「どうして花って枯れるんだろうな」
振り向くと、彼が指先で極楽鳥花をいじっていた。
「でも、枯れるからこそ綺麗なんだろう」
数分前に彼が発した言葉をそのまま返す。彼はゆるやかに笑って見せた。はばたくことなき極楽鳥は彼の指先で鮮やかに咲き誇っている。枯れる瞬間まで、彼はきっとその花を愛すだろう。そして枯れた時、きっと悲しむに違いない。続かないからこそ美しい。彼はきっとそれを、心の底から知っている。
青。
水槽の中をたった一匹、青い魚が泳ぐ。熱帯魚のようなはっきりとした青ではない。空に似た涼しげな薄青の鱗を持った魚だ。
この魚の名前を、夏野は知らない。
一匹のためだけに用意された水槽は、魚に似た青色のライトで照らされている。夕方を過ぎ夜になった部屋の中、そのライトだけが煌々と光っていた。手にしていた鞄を放り投げ、制服のまま水槽の前に座り込む。夏野の手のひらにのる程度の大きさの魚は悠々と水の中を泳いでいた。
青。
その魚は、だんだんと形を変えている。
最初は金魚のように小さく愛らしい形をしていたそれは、もはやその原形をとどめていない。一回りも二回りも大きくなった魚のシルエットは奇妙というほかない。えらの辺りから人のような腕を生じ、伸びた頭近くは人の上半身に形を似せ、日々顔らしき物を形成している。
今もまた、それは生まれたばかりの腕を伸ばし泳いでいる。魚だったはずのものはもう魚とは呼べない。
青いライトに照らされたアクアリウムをひたすら見つめながら夏野は思う。中途半端に人の形を取ったこの生物が完成したら。
それは、人魚というものになるのではないだろうか。
水槽の中をたった一匹、青い魚が泳ぐ。熱帯魚のようなはっきりとした青ではない。空に似た涼しげな薄青の鱗を持った魚だ。
この魚の名前を、夏野は知らない。
一匹のためだけに用意された水槽は、魚に似た青色のライトで照らされている。夕方を過ぎ夜になった部屋の中、そのライトだけが煌々と光っていた。手にしていた鞄を放り投げ、制服のまま水槽の前に座り込む。夏野の手のひらにのる程度の大きさの魚は悠々と水の中を泳いでいた。
青。
その魚は、だんだんと形を変えている。
最初は金魚のように小さく愛らしい形をしていたそれは、もはやその原形をとどめていない。一回りも二回りも大きくなった魚のシルエットは奇妙というほかない。えらの辺りから人のような腕を生じ、伸びた頭近くは人の上半身に形を似せ、日々顔らしき物を形成している。
今もまた、それは生まれたばかりの腕を伸ばし泳いでいる。魚だったはずのものはもう魚とは呼べない。
青いライトに照らされたアクアリウムをひたすら見つめながら夏野は思う。中途半端に人の形を取ったこの生物が完成したら。
それは、人魚というものになるのではないだろうか。