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 レイチェルと呼ぶ声に振り向けば、若い執事が階段を指しているのが見えた。

「階段の掃除は?」
「まだです。お洗濯が終わったらと思って」
「早めにお願いしますね。今日は旦那様のご友人が見えられますから」

 白い手袋の先で袖口をいじりながら、サイモンはこともなげに告げた。それにレイチェルがうぇっと呟いたのはきっと、気付かれなかったと思いたい。とはいえ、気付いていたところで執事はどこ吹く風で彼女の目の前に仕事を積み上げていくのだからあまり意味はないだろう。
 サイモンは執事だ。執事としてはまだ若いが、この屋敷の主人からの信頼は厚い。とはいえ、主人はサイモンだけではなく、メイドのレイチェルも、庭師のジャックも、料理人のアシュリーも信用しているのだが。何せこの屋敷には主人を含め五人しかいない。
 たった一人のメイドであるレイチェルの仕事は多い。しかし文句はない。乞食同然だった彼女がここまで育ったのも、この屋敷の主人と使用人達がメイドとして雇ってくれたからに他ならない。おかげで忙しいとはいえ働いた分の給金は貰え、衣食住にも困らないのだから、人の一生は何が起こるか分からない。
 サイモンの左手が、右袖をいじる。

「サイモン?」
「はい」
「右袖のカフスが。とれそうなんですね」

 彼らしくない挙動に目を懲らせば、燕尾服のカフスが緩んでいたのだった。指摘されて彼は困ったように少しだけ眉を顰めた。

「さっき気付いたんです。直そうと思ったのですが忙しくて」
「それなら、私が直しましょうか」

 抱えていた洗濯物の籠を抱え直しつつ問えば、サイモンはしばし考えるように沈黙した。その間もやはり彼の手はカフスをいじっている。いつか落ちるのではないかとレイチェルは内心ハラハラしていたが、彼はそんなことはまったく考えてもいないのだろう。真っ白な手袋に包まれた指先は止まらない。
 そしてやはり、レイチェルの危惧したようにカフスが音を立てて床を転がった。カフスはサイモンの足下からレイチェルの足下までころころと転がり、レイチェルの使い古したブーツの爪先に当たって止まった。それを拾おうとしたところで、サイモンの手が先に伸びてレイチェルの動きを止める。
 カフスを拾い上げた彼はふう、と小さく息をつくと、カフスを洗濯籠の中に落とした。

「あっ」
「では、お願い出来ますか。干して、階段を掃除した後で構いませんので」

 言いつつ燕尾服を脱ぎそれを更に洗濯籠の上に重ねたので、必然レイチェルの腕に燕尾服一着分の重さが増す。メイドは力仕事も多いとはいえ、なんとも失礼なヤツだと嫌味の一つも言ってやろうかと思ったが、言ったら更に仕事を増やされるか嫌味で返されるかのどちらかだと気付いて止めた。ここで働き始めて七年、この執事との付き合いも七年にあたるが、未だ彼に口で勝てた事はない。
 シャツにベスト姿になったサイモンは、これで終わったとばかりにさっさと階段に足をかけた。レイチェルもまた仕事に戻ろうかと洗濯籠に視線を落とす。早く終わらせようと背を向けたところで、

「ああ、そうでした、レイチェル」
「はい?」
「今日の昼食にはタルトがつくそうですよ。アシュリーが良い果物が入ったと言っていました」
「ほんとですか?」

 慌てて振り向けば、サイモンは軽く肩を竦めて他には何も言わなかった。そして何事もなかったかのように二階へ行ってしまう。だがその背に嫌味をぶつけてやろうとはもう思わなかった。

「じゃあサイモン、カフスつけてあげますから、タルトあたしにくださいね!」

 叫ばず、けれど彼に届くぎりぎりの声量で訴えれば、やはり彼は答えなかった。
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