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Bernadette
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 アキノの話をしようと思う。
 私がアキノと出会ったのは五年前のことになる。だからといって私がアキノについて知っていることはそう多くない。実際私は彼の正確な年齢も分からないし、どこで生まれ育ったのかも分からない。病院にやってくる前までどんな仕事をしていたのかも知らないし、私の知っていることは本当にわずかだ。
 彼は一日の大半を眠って過ごしている。そういう病気なのだ。だんだん睡眠時間が増えていき、最終的に眠り続け、そうして最後は眠ったままゆっくり死んでいく。だからアキノの死に方はすでに決まっていると言ってもいいだろう。五年前から伸び続けている睡眠時間は、とうとう起きている時間を上回ってしまった。起きる時間もばらばらで、たった一時間で起きてしまうときもあるし二日間ほど眠りっぱなしのときもある。彼の生活は不規則で、そのせいで体の調子はあまり良くない。
 アキノは減りつつある自分の時間を、たいていはピアノを弾くことに費やしている。彼はピアノを弾くのが得意だ。病院の共有スペースに置かれたグランドピアノを、それは楽しそうに弾く。楽譜を見ているときもあれば、何も見ずさらさらと手を動かすときもある。私はいつも彼の斜め後ろでそれを見ているが、そのときの彼は死ぬことが決まっている人間とは思えないほど生気で満ちている。
 私と彼がどのような関係なのかと問われれば、私は友人だと答えるだろう。私は週に一回、電車に乗ってこの病院を、アキノを訪れる。最近は寝ていることの方が多いが、起きていればピアノを弾いているのをそばで見ているし、時々話もする。アキノもまた私のことを友人と思っているには違いなく、交わす言葉は少なくお互いのことを多く走らないが、私たちはそういう関係で成り立っている。
 その日のアキノは、珍しく起きていた。
 入院中の友人に何を渡せばいいのか、未だに私はよく分からない。いつものように悩んで悩んで、家の近くの洋菓子屋でフルーツタルトを買って行った。季節も原産地も関係ない果物がつやつや輝きながらたくさん乗ったフルーツタルトは、ただ私が食べたかっただけと言っていい。アキノと私の分二つを抱えて病室に行った。アキノが眠っていたら、そのときは私が二つ食べてしまっても、あるいは彼のそばの冷蔵庫に入れてメモを置いていってもいいだろうと考えていた。
 彼は起きていた。ベッドの上で体を起こし、ヘッドフォンを手にしていた。
 私はまず、彼が起きていたことに驚いた。次にピアノを弾きに出かけていないことに驚いた。スライドドアの音に気付いたアキノが私を見た。あまり血色の良くない、いつもとそう変わらない顔をしていた。そう言ってしまえば、彼のたいていは変わっていない。ただ、黒々としたヘッドフォンがいつもと違った。
 彼のベッドには橋が架かるように、折りたたみのテーブルが置かれていた。主に食事時に出されるそれの上にはペンと紙が散らばっていたが、アキノはあっという間に片付けてしまった。
「何を?」
「仕事を」
「仕事なんてしてたの」
「してるんだ」
 アキノは呆れたように答えた。意外なことだった。彼はついでにヘッドフォンも片付けてしまい、五年間ほとんど変わることの無かったアキノに戻る。私はテーブルの上にタルトの入った白い箱を置いた。起きる時間が不規則になった彼は食事の時間も不規則だ。眠り続けているとその食事さえ摂らなくなってしまう。箱を開けて見せると、ああ、とアキノは吐息に近い声を上げた。
「そう言えば、腹が減っていた」
「フルーツタルト。食べられるかな」
「食べられるさ」
 折りたたみ椅子を開き、テーブルの横に置く。そこに腰掛け私は二つ、タルトを取り出した。中を探ってプラスチックのフォークも取り出した。入院着に包まれた、細い手首が伸びてきた。その手の平にフォークをのせた。
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 こんな夢を見た。



 四角い棺に入っていた。その棺はわたしの体には少し小さく、どちらかというと浴槽に浸かっているようだった。ただし棺と言う名の浴槽に満たされているのは水ではなく、鮮やかなピンクの花であった。
 花の香りで満ちていた。
 上体を仰け反らせ、狭い棺の中で体を伸ばす。顔に何かが当たった。見上げると、暗闇からピンク色の花が降ってきているのだった。薔薇のように花びらが幾重にも重なったその花の名前をわたしは知らない。見たこともない。花の匂いは甘やかで、黒く囲まれた棺の周りに僅かな音をたてながら降り積もっていった。


 喪服を着た男がいた。
 黒髪を後ろに撫でつけたまだ若い男は静かな目で棺に入ったわたしを見ていた。煙草を口に銜えていた。煙がゆったり流れ始めると、降り続けていた花の雨が止んだ。雪のように積もった花に足を埋め、男はわたしをじっと見つめていた。
 わたしもまた彼を見つめていた。
 彼はゆったりと微笑んだ。苦笑のような、子供をあやす大人のような笑い方だった。お前のことは分かっているよとでも、言いたげなまなざしをしていた。
 腕を伸ばし、近付いてくる彼の手首を掴む。さくりさくりとまるで雪を踏むような足音を響かせながら彼は煙草をくゆらす。掴んだ手首は想像していたよりも細く、袖から伸びた手は青白かった。
 掴まれた手とは逆の手で、彼は煙草を持った。いまだ煙の上がる煙草は不思議とさっきから減っていない。だが火はいまだ赤くくすぶり、黒色に慣れたわたしの視覚を刺激した。
 お前の言いたいことは分かっているよ。彼の目が言う。
 彼の手が、煙草を持った手が、わたしの棺に近付いてくる。棺の中の花に近付いてくる。身を埋めるピンクの花は浴槽のような棺の中で、しかし水ではない。葬ってくれ。わたしは言う。お前のその火でわたしを葬ってくれ。
 紙に火がつくよりもたやすく花は燃え上がった。花から花へ火が燃え移る様は素早かったが、わたしの目にはひどくゆっくりと映った。炎は花に埋もれたわたしの体も同じように灰に変えていく。わたしはいまだ彼の手首を掴んだままだったが、彼は棺の傍に寄り添うように片膝をついて、燃える火を眺めていた。
 すまないな、とわたしは言った。もうしばらく待ってくれ。そうしたらわたしは真っ黒に燃えて灰になるだろう。そうしたらお前にぜんぶやろう。もう少し待っていてくれ。
 彼は微笑んだ。その笑みが悲しげだったことに、目が焼かれ始めてようやく気付いた。さようなら、とわたしと彼の口が同時に動いたところで、すべて見えなくなった。
こんな夢を見た。

私は船に乗っていた。どうやらそこは広い湖で、遙か向こうには連なる山々が見えたが、あいにく周りは白い霧で囲まれていた。小さな船からのぞき込んだ水面は、恐ろしいほどに青く澄んでいた。その澄んだ水も底を見通すことは出来ない。よっぽど深いのだろうその湖に魚も水草も見えなかった。
船には私の他にもう一人乗っていた。青白い頬の女性だ。白い服を着こみ、今にも霧にとけ込んでしまうのではないかと思ってしまうほどに希薄な空気を纏っていた。憂いを含んだ瞳はどこか宙を見ていた。
向かい合った女は今にも死んでしまいそうだった。しばらくすると、思った通り、女の体はくずおれた。力をなくした体がぐらりと傾き、船の中に倒れる。小さな船はきしみ声をあげたが、沈みはしなかった。
私は驚いて女を抱えあげた。青白い頬をいっそう白くしながら女はか細く息をしていた。こんな船の中でどうすれば良いのか分からなかった私は静かに動揺した。とりあえず声をかけようと口を開いたが、冷たい空気が喉をつう、と通っただけだった。

「おねがいがあります」

うっすら目を開けて女が言った。船のきしみ声に隠れそうな小さな声だった。

「わたしが死んだら、この湖に沈めてください」

そうして女は目を閉じた。その首筋に指を当てたが、僅かな温かさのみがそこにはあり、私は首を横に振るしかできなかった。
女を腕に抱えたまま、湖をのぞいた。底の暗闇がさっきよりも深くなったのではないだろうか。抱えた女の体がずしりと重くなったような錯覚を覚えた。私はどうすればいいのだろうかとぼんやり考えた。さっきまでの女のように宙に視線をさまよわせた。白い霧と浅い青空と、高い山が見えた。
女を湖に沈めるべきか、このままにしておくべきか。静かに考える。ちゃぷちゃぷと湖水が船に当たり、跳ね、女の頬にぽつりと落ちた。まるで涙のようだった。
二瓶は花が嫌いだ。昔、二瓶自身がそう言っていたことを八坂は覚えている。
だから、彼の手に白い花が握られているのを見てひどく驚いた。

「花、嫌いじゃなかったんですか」
「嫌いだな」

マーガレットだろう白い花を一輪、二瓶はしげしげとそれを見つめていた。

「花は美しいが、それは永遠に続く訳ではないからな」

花占いをするかのように、ぷちぷちと花びらをもぎ始めた。その表情はいつも通りにも見えたが、どこかふて腐れたようにも見えたのは八坂の見間違いではないだろう。

「でも、だから、綺麗だって言えるんだと思います」
ベルベットに似たなめらかな花びらは真紅だった。近付けば近付くほど、咲き誇る薔薇の匂いがまとわりついてくる。一点の汚れもない花は、今がもっとも美しい瞬間なのだろう。赤い薔薇に顔を寄せると、よりいっそう香った。
左手で一本、ぱきりと折る。棘が手袋越しに手のひらを傷つけたが気にしなかった。もう一本、もう一本と折る。今が盛りの花を折る。やがて折った薔薇は両手に抱えるほどになった。
二瓶はしばらく抱えた薔薇を見つめていた。まるで花束のような薔薇の束は、折られてもまだ生き生きと赤色を主張している。
だが二瓶は、折られた花の命が長くないことを知っている。
目を閉じる。瞼の裏の暗闇に花の真紅が焼き付いて離れない。棘のある茎を掴む手が痛んだ。目を開ける。手のひらの痛みを知りながら、二瓶は花をぐしゃぐしゃとむしり取り始めた。
むしり取られ握りしめられた花びらは無残に変形し、ごみのように地に落ちた。二瓶の足下が赤く彩られていく。薔薇の匂いが悲しげに風に流れていった。

「にへいさん」

少女の声がした。

「なに、してるの?」

舌っ足らずな少女が薔薇の木と薔薇の木の間から、不思議そうに二瓶を見ていた。真っ白なワンピースを着た少女が顔を出している、その薔薇の木の花は白だった。
途端薔薇に興味をなくした二瓶は、握りしめていた手をぱっと離した。薔薇の束が乾いた音をたてて足下に広がった。

「なんだ、いつから見ていたんだ、八坂」
「お花、ばらばらにしてるとこ」

とことこ近付いてきた少女は二瓶の足下の薔薇を一瞬寂しそうに眺めたが、その視線はすぐに二瓶の手に移った。驚いたように目を見開いた少女に二瓶は首を傾げ、自分の手を見た。棘で傷つけたのだろう、白い手袋に血の色が染みついていた。

「たいへん。洗わないとばい菌はいるよ」
「大丈夫だ」
「だめ。いたいでしょ」
「そうだな、確かに痛い」

自分の腰ほどしかない少女の頭に、いつものように手を載せようとして止めた。少し悩んで、また新たに薔薇を折った。今度は手を傷つけないよう、葉と棘を抜く。

「八坂、手を出してみろ」
「はーい」

素直に差し出された手の上に、その薔薇を載せた。少女の後ろでは白い薔薇が咲き誇っている。振り返る。赤い薔薇は物を言うことも出来ずただ咲き続けている。少女の手の中の薔薇もまた、咲き続けている。だが、二瓶はその花が、永遠に美しいままではないことを知っているのだ。

「きれい」

それを知らない少女は無邪気に笑う。匂いを確かめるように口付ける姿を見ながら二瓶は自分の手を握りしめた。花びらに似た赤色が染みついた手袋越しに、人肌の温かさはなかった。
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