こんな夢を見た。
雨が降り出しそうな灰色の空の下、私が駅前のベンチに座っていると、横に男性が並んで座った。ふいとそちらを見ると、男性は白髪が交じり始めた黒髪を後ろに撫でつけた、壮年の男性だと言うことが分かった。ごくごく自然な動作で足を組んでいた。威圧感や迫力はないが、凍ったように静かな水面を思わせる静謐さが私の方まで届いて駅前の喧噪を忘れさせた。
勿論彼は私の知り合いではない。だがどこかで会ったような既視感があった。しかし話しかけるほど私の神経は図太くはない。視線を行き交う人々に向けた。どこに行くかも分からない彼らを、私はおそらく彼と共に眺めていた。
人の流れがだんだんと、一つの波になり始めた。駅が砂の城のように溶け出し形を忘れ、そこには何も残らなかった。足を載せているはずの堅いアスファルトも柔らかになり、それは水に変わった。灰色の空が驚くほどの速さで色を取り戻し夕暮れ時の色に変わった。私と男性は二人並んでそれを眺めていた。ベンチだけは変わらず、褪せた色と形のままだった。
目の前に広がっているのは夕暮れで赤と橙の混じり合った色合いの海だった。
「綺麗ですねえ」
ちらりと横を見ながら言うと、彼は頷いた。
「ええ、綺麗ですね」
さっきまで歩き、走り、話し、止まっていた人々の群れが穏やかに揺れる海となっているのだ。もう少しで夜になる、その手前の色合いは燃えるようだった。眩しい、と思った視界がぼやけ、何事かと目元に触れると、私は泣いていた。
「悲しいですか」
彼が言う。
「分かりません」
私は素直に答えた。
さざなみの音が聞こえた。
「あなたはきっと、恐ろしいのでしょう。この海が」
彼が立ち上がった。ちゃぷん、と足下の海水が跳ねた。正面から見た壮年の男の顔を見てようやく既視感の奇妙なベールが取れた。これはまるで、私ではないか。
「私は行きますが、あなたはどうしますか」
「どうしましょうか」
「そのままでいたいのですか」
「いいえ、いたくはありませんねえ」
つられて私も立ち上がった。水の上で立つのは空を飛ぶように不思議な感覚がした。一歩踏み出す度に水が私の足を絡め取る。彼の横に並んで、私は先の無いほど続く海を眺めた。絡め取る海水もさざめく波も、全て元は人だったのだと思うと、私の歩を捕まえるこれらはもしかしたら、遠いどこかに私が置いてきた何か、誰かだったのかもしれない。
私は悲しかったのかもしれない。何もかも後ろに置いていき、静かに老いていく自分が悲しかったのかもしれない。そして他の人々も同様に老いていく。おなじだけの速さで歩いているはずなのにいつかまったく違う速さになるそれが、悲しかったのかもしれない。
夜が来る。
裾を濡らす水を振り払うように私は足を踏み出した。いつのまにか、彼は消えていた。一瞬見下ろした水面に映った私は白髪交じりの髪の毛を後ろに撫でつけた、壮年の男だった。
雨が降り出しそうな灰色の空の下、私が駅前のベンチに座っていると、横に男性が並んで座った。ふいとそちらを見ると、男性は白髪が交じり始めた黒髪を後ろに撫でつけた、壮年の男性だと言うことが分かった。ごくごく自然な動作で足を組んでいた。威圧感や迫力はないが、凍ったように静かな水面を思わせる静謐さが私の方まで届いて駅前の喧噪を忘れさせた。
勿論彼は私の知り合いではない。だがどこかで会ったような既視感があった。しかし話しかけるほど私の神経は図太くはない。視線を行き交う人々に向けた。どこに行くかも分からない彼らを、私はおそらく彼と共に眺めていた。
人の流れがだんだんと、一つの波になり始めた。駅が砂の城のように溶け出し形を忘れ、そこには何も残らなかった。足を載せているはずの堅いアスファルトも柔らかになり、それは水に変わった。灰色の空が驚くほどの速さで色を取り戻し夕暮れ時の色に変わった。私と男性は二人並んでそれを眺めていた。ベンチだけは変わらず、褪せた色と形のままだった。
目の前に広がっているのは夕暮れで赤と橙の混じり合った色合いの海だった。
「綺麗ですねえ」
ちらりと横を見ながら言うと、彼は頷いた。
「ええ、綺麗ですね」
さっきまで歩き、走り、話し、止まっていた人々の群れが穏やかに揺れる海となっているのだ。もう少しで夜になる、その手前の色合いは燃えるようだった。眩しい、と思った視界がぼやけ、何事かと目元に触れると、私は泣いていた。
「悲しいですか」
彼が言う。
「分かりません」
私は素直に答えた。
さざなみの音が聞こえた。
「あなたはきっと、恐ろしいのでしょう。この海が」
彼が立ち上がった。ちゃぷん、と足下の海水が跳ねた。正面から見た壮年の男の顔を見てようやく既視感の奇妙なベールが取れた。これはまるで、私ではないか。
「私は行きますが、あなたはどうしますか」
「どうしましょうか」
「そのままでいたいのですか」
「いいえ、いたくはありませんねえ」
つられて私も立ち上がった。水の上で立つのは空を飛ぶように不思議な感覚がした。一歩踏み出す度に水が私の足を絡め取る。彼の横に並んで、私は先の無いほど続く海を眺めた。絡め取る海水もさざめく波も、全て元は人だったのだと思うと、私の歩を捕まえるこれらはもしかしたら、遠いどこかに私が置いてきた何か、誰かだったのかもしれない。
私は悲しかったのかもしれない。何もかも後ろに置いていき、静かに老いていく自分が悲しかったのかもしれない。そして他の人々も同様に老いていく。おなじだけの速さで歩いているはずなのにいつかまったく違う速さになるそれが、悲しかったのかもしれない。
夜が来る。
裾を濡らす水を振り払うように私は足を踏み出した。いつのまにか、彼は消えていた。一瞬見下ろした水面に映った私は白髪交じりの髪の毛を後ろに撫でつけた、壮年の男だった。
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