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Bernadette
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 両側を灰色の塀が平行に並ぶ、小道を歩く。車が一台通れるかどうか、それほどの狭さの道は甘い匂いがした。塀からこぼれるように顔を出した紫色の藤の匂いだった。手にした風呂敷包みを抱え直す。甘い匂いは数歩離れても香ってくる。


「ところでそこの君。悪夢はいらないか?」
 黒いスーツの男がにこやかに話しかけてきた。


「夏野、しめろ!」
 五木骨董店に入った途端、店を切り盛りする女性の絶叫が鼓膜を打った。驚いて扉を閉め、その一瞬後、ガラスに軽いものが当たる音がした。
「ナイス!」
 夏野へ叫んだギンコが喜びの笑顔を浮かべて狭い店内を走り寄ってきた。何事かと周りを見渡すと、足下に金魚の形をした物が落ちていることに気付いた。そしてすぐその認識を改める。金魚だ。
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 倉庫を整理していると、細長い箱が出てきた。形からして巻物が入っているということは容易に想像出来たし、実際中身を確認してみると、夏野の予想通り巻物が入っていた。ただ、それが巻物が置かれた棚ではなく、倉庫の隅にぽつんと放置されていたのが気になった。
 書斎にいる冬峰にお茶を持って行くついでに、その箱ごと巻物を持って行くことにした。
 冬峰は小脇に抱えた箱を見てまず目を見張り、そして懐かしげに笑った。
「ああそれは。しばらく見ないと思っていたら」
「倉庫の隅っこに転がってました」
「そんなところにいたのか。どおりで見なかったはずだ」
 まるで巻物そのものが勝手に動いたかのように言う冬峰は夏野からお茶を受け取ると、それを開いてみると良い、と言い出した。
 開くと、まず見えたのが虎のような動物の姿だった。更に広げると、それが確かに虎であることが分かった。かと思うと、その虎が突然巻物の中を動き始めた。
 驚いて目を見開いた夏野を冬峰は笑った。
「良いだろう、それ。動くんだ。生きているらしい」
 人魚の肉が欲しいと訴えた女性は美しかった。鬼気迫った人独特の雰囲気をまとった美しさだった。


「しかしね夏野、人魚の肉など、食べたところでどうにもならないのさ」
 冬峰はいやらしく笑って見せた。
「なにせ不老不死が与えられるのは限られた者だけだ。食ったところでどうせ、死ぬか苦しんで死ぬかのどちらかだろうよ」
 まったくこの世はままならない。永遠に美しくありたい者は醜くなり、さっさと退場したい者がいつまでも残り続ける。
「お前もそうだろう」
 押し黙る夏野に冬峰は問うた。答えなんて分かっているでしょう、と言うと、まあな、と答えが返ってきた。


「うん、お前の淹れる茶は美味い」
 熱い茶をすすりながら菓子を口に放る。
「最初ここに来た頃とはまるで別だ。うん、良いな」
 冷たさと温かさを孕んだ空気を吸い込み、吐き出す。ボストンバッグを抱きしめ小さくなる。
 乗る予定だったバスが停まっていた場所を恨みがましく見つめ、夏野は唇を尖らせた。春休み、一人で旅行に出た、その帰りのバスは夏野を乗せ忘れて行ってしまった。いや、確かに夏野を乗せたのかもしれない。夏野の名を騙った誰かを、だ。
 ボストンバッグとは別に持っていたバッグは今、夏野の手にない。レストランでドリンクを取りに行った、その一瞬の間に、席に置いていたサブバッグを盗まれたのだ。戻ってきてそこにあるはずの物がないことに気付き、夏野は一瞬で青ざめた。ちょうどバスが出発する一時間前だった。幸か不幸かボストンバッグにはいくらか金を入れていたが、身分証明証や携帯電話、乗車券の類は全てサブバッグに入っていた。
 急いで警察に向かったが、もともと旅先だったのが災いした。まず警察署を見つけることに時間が掛かった。迷いに迷ってそれでも到着せず、諦めてバス乗り場に向かったが、やはりその道中で迷い、結局バスは行ってしまった。あとに残されたのは着替えやお土産の詰まったボストンバッグを抱えた夏野という少女一人だった。
 いくら恨みをこめてバス乗り場を見つめてもバスは戻ってこない。ボストンバッグを抱きしめたまま夏野はベンチに横になった。冬から春になり始めたとはいえまだ寒い。スプリングコートの襟元をかき寄せ、バッグからマフラーを取り出し首元に巻いた。手持ちの所持金は多くない。今夜をどう過ごすべきか考えたが何も良い案は出てこなかった。それどころか帰る方法すらない。高速バスで移動してきた道のりを、徒歩で行くとすればどれだけの時間が掛かるだろうか。
 だが、と夏野は思う。自分は本当に、帰りたいのだろうか。
 無理矢理染めて痛んだ髪の毛に触れる。明るい茶色をしてた髪の毛は、春休みに入って黒に染め直した。手首でキラキラ輝いていたブレスレットも、胸元で存在を主張していたネックレスも、素肌を隠していた化粧も今は何もない。もともと似合わない性分だったのだと取り払って自覚した。慣れないことをしても良いことはない。
 かえりたくない、と小さくこぼすと、そうだ、帰りたくないのだと強く感じた。暴力をふるう父親の顔など見たくはないし、一人の女子高校生を演じる学校にも行きたくない。今、寒空の下にいる方がどれだけマシなのか考えるだけ無駄だ。
 だが、夏野は十七歳の少女でしかなかった。夜中になってもこのままでいたら、もしかすれば何かに巻き込まれるかもしれないし、どれだけ嫌がっても帰らなければいけない。それが一層心を重くした。
 かえりたくない、ともう一度言葉をこぼした時だった。
 にゃあ。
 部屋の隅に飾っていたフォトフレームの中で笑っていたのは誰だったか。安っぽい金色のネックレスはその時の流行物だった。何一つ本物の存在しないジュエリーボックスの中身を満たすのがまるで自己アピールのようだった。染めた髪の毛を結っていたシュシュはもう色褪せているだろうか。着なくなってしまったあの制服は、使わなくなった鞄の中身は、どうなっているのだろう。
 さらさらとした雨は晴れた空から落ちてきていた。通り雨かもしれない。店の軒先で眺めていると、ふと、そういえば二年経ったんだなあ、と今更のように思い出した。
 夏野、という少女が死んだのは、二年前の三月だった。


「今年で20歳か」
 冬峰に言われて、ああそうですね、と夏野は答え、すぐに、
「女に歳の話題はタブーですよ」
 と返した。
「気にしているのか? お前が?」
「実は、まったく気にしていません」
「だろうと思った」
 霧のような雨に打たれて帰ると、私室に篭もりっきりだった冬峰がリビングのソファーに腰掛け新聞を読んでいた。開口一番それだった。冬峰がそうなのはいつものことだったが、いきなり歳の話が出てくるのには驚きを隠せなかった。
「そういう冬峰さんは何歳なんですか」
「さて、何歳だったかな」
「はぐらかさないでくださいよ、二年前からそればっかり」
 
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