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Bernadette
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「うまいか」
 まだまろい幼い手が、ローストビーフを音もなくナイフで切り分け、フォークで突き刺し口に運ぶ。ソースが垂れて皿やテーブルクロスを汚すようなまねはしない。薄ピンクの小さな唇が上品に咀嚼する。俺の目の前の小さな子供は、まるで自分の手の延長のようにナイフとフォークを操って食事をしている。
「はい。とても」
 子供はにっこり笑った。年齢に不相応なほど大人びた食事マナーで、しかし浮かべたのは年相応の無邪気な笑みだ。パールホワイトのワンピースに赤いリボンの少女は、それはそれはうれしそうに笑うのだ。ふうん、と俺は気のない相槌を打つ。肩肘張ったフルコースのディナーは趣味ではないが、この子供が美味いと言うなら良いだろう。面倒な仕事に不味い飯と二段重ねできたらやる気が削がれることこの上ない。
 とはいえ、目の前の子供に限って、そんなことはないんだろうが。きっとこの子供は、どんな厄介な仕事だろうと遂行し、不味い食事にやる気が削がれることもない。幼い頃からそう教育されてきたのだから。
 静かに歩み寄ってきたボーイが食べ終わった皿を持って行く。いつの間にか、子供も食べ終えナプキンで口元を押さえていた。大きな緑の目が瞬きをする。俺を見る子供の目はあくまで純粋だ。
「次はデザートですか」
「何かの果物のムースらしい」
「おいしそう」
「なんなら俺の分も食うか」
 甘い物はさして好きではない。あまり行儀の良いものではないが、まあ、子供が居るんだ、大目に見てもらえるだろう。やはりにこにこと笑った子供は大きく頷いた。ライトブラウンの柔らかな髪が、抑えられた照明の下でうっすら透けて見える。ふとその頭を撫で回してみたいと思ったが、さすがにそれは実行しなかった。


 目の前の子供は物心つく前から教育されてきた、立派な暗殺者だ。
 およそどこにでもある話だが、スラム街の孤児や捨て子を拾い集め、殺し屋として教育するその場所を、この国ではファームと言う。ファームで育てられた子供たちは人の殺し方だけではなく、一般常識や立ち居振る舞い、それなりのレベルの知識を詰め込まれ、大きくなれば人に売られて仕事を始める。どこぞの企業社長、マフィア、あるいは政治家。自分の身を守る術がほしい連中にうってつけの商品だ。強ければ強いほど、頭が良ければ良いほど高い値が付き、その金でファームはまた子供たちを増やして教育する。それに見た目の良さも付け加われば価値はもっと上がるという訳だ。
 俺がこの子供を買ったのもやはりファームで、だ。正確にはファームのそういう販売人がリストアップした候補の中から選んだのだ。なるべく賢く、なるべく優秀な、暗殺に秀でた子供を、という希望通りにそいつは五人ほどの候補を上げた。その中から選んだのはライトブラウンの癖毛と緑の目をした、まだ十歳にも満たない少女だった。
 最初は、こんなに幼い子供が仕事なんて出来るんだろうかと疑いもしたが杞憂だった。俺に買われたその日から、無邪気な笑顔を浮かべた子供は忠実に仕事をこなした。高い金を払っただけの価値はあったということだ。ファームの販売人が雄弁にこの子供のすばらしさを説いていたのを思い出す。
 レストランから出て、五十階に予約していた寝室に向かう。時計を見れば子供は寝ていてもおかしくない時間だったが、小さな暗殺者は眠気の欠片も見せず俺の後ろに従っていた。腰の後ろで結んだ大きなリボンが、ワンピースの裾が、頭の赤いリボンが、歩くたびにふわふわなびいていた。
 荷物はすでに部屋に運び込まれていた。入るなり、子供は部屋中をくまなく見た。さすが高級ホテルの五十階、たかだか一泊のためだけに使うには惜しいくらい部屋は広々として、調度品は値段が張ることが一目で分かる。それでいてやたらと豪奢に見えない辺りは品が良いと言えるだろう。もっとも子供はそんなの知ったこっちゃないので、絵の裏だとかベッドのスプリングの下だとか、コンセントの周辺だとかを調べ回る。およそ十分くらいで部屋中を見終わって、子供は大丈夫です、と言った。
「盗聴器などは、ないみたいです」
「そうか」
「これでお仕事が出来ますね」
 子供はそう言って、自分のトランクを床の上に広げた。かわいらしい外見のトランクは、しかし中身はまったくかわいらしくない。着替えが詰め込まれた中に、巧妙に、人を殺すための道具が隠されているのだ。
「念のため言っておくが、ターゲットはこの更に上、六十階だ」
「はい。更に、七時にはボーイが部屋に来ますから、その前にこのホテルをチェックアウトしなければなりません」
「部屋の前には警備員もいるだろうしな。どうするつもりだ?」
「空調に、仕掛けをしてみようかと」
 床に座り込み、子供は言う。
「あたしは小さいので、空調ダクトを通ることが出来ます。少し時間はかかりますが、監視カメラを少しいじって死角をつくって、そこから空調ダクトを通って部屋に行きたいと思います。直接ナイフや銃で殺すのが確実ですが、部屋に降りてそこにカメラがないとは限りませんから、今回は毒殺です」
「……そうか」
 淀みなく計画を述べた子供を後目に、俺はソファーに深く腰を沈めた。そうしている間にも少女はポシェットに毒やら何やらを詰め込んだ。ワンピースと靴を脱ぐと半ズボンとフリルシャツに着替える。万が一見つかっても大丈夫なように、それなりにフォーマルかつ動きやすい格好をするらしい。
 最後に、編み上げのブーツの紐を固く結んで髪の毛を一つに縛る。トランクに荷物をすべて詰め込んで、それで準備は終わりだった。
「行ってこい」
「はい、いってきます」
 小さな暗殺者はやはり、笑う。


 幼い頃からそうなるよう育てられた優秀なアサシンは、しかし、決定的な歪みを内包しているのだと販売人は言う。
「人が人を殺すと言うことは、その精神に深い影響を与えます。生まれつきの殺人鬼ならばそうでもないでしょうが、ごくごくふつうの精神を持った子供であれば無事に済むことはありません。必ずどこか、歪みがあります。そこがファーム製の殺し屋の欠点です」
 そりゃそうだ。人殺しなんてまったく関係ない世の中に住んでいても、歪む人間は必ずどこかにいるもんだ。最初から歪んだ環境にいる子供ならなおさらだ。大人よりも柔軟で、それ故に影響を受けやすい精神が無事であるはずもない。
 だが彼らはとても、とても優秀な殺し屋だ。
「ですから、我々はその精神にも教育を施すのです。その内容は子供の状態や適正によってバラバラですが。たとえば、人を殺したらその分だけ食事を楽しむ。音楽を聴く。本を読む。運動をする。人を殺すストレスを必ずどこかで発散するように教育します。そうして精神のバランスを保ち、完璧な殺し屋として育て上げるのです」
 では、あの子供はどうなのか。俺と初めて出会ったときから、ずっとうれしげな笑みを浮かべる子供はどうなのか。もしや笑顔を浮かべることで発散でもしているのか。
 しかし、販売人は苦笑して頭を横に振った。まだ取引は成立していない時だった。子供は販売人の横に並びながら、その大きな緑の目で俺をじっと見ていた。
「ますたー」
 そして、今、その目が俺の顔をのぞき込んでいた。
 驚いた俺が上体を起こすより早く、子供は俺の顔から距離をとって頭と頭をぶつけるような事態を回避した。腰の辺りに妙な重さがあると思ったら、いつの間にか子供が俺の上に乗っていたのだった。ソファーに横になっていた俺に、更に子供が乗っていた、という状況である。
 子供はすでに、元のワンピースに着替えていた。いつの間に帰ったのか。時計をみようとしたが、どう言うわけかこの部屋には壁掛け時計がない。仕方なく腕時計を見る。子供が出て行ってから、優に三時間は経っていた。
「ただいまかえりました、マスター」
「……そうかい、おかえり」
「はい」
 行く前となんら変わりのない姿だった。少しばかり埃っぽいのは、空調ダクトを通って仕事をしたからだろう。だとすれば服も相当汚れたはずだ。なるほど、それで元のワンピースに着替えているということか。
 ウェーブがかった髪についていた埃を、指先で摘む。
「首尾は」
「問題ありません。ターゲットは殺しました」
 埃を落とし、そのまま子供の頭を撫でる。細い髪に指を絡め、かきあげるように何度も梳く。暖かい。子供の体温は冷たい俺の手にはとても心地よい暖かさを持っていた。子供は心地良さそうに目を閉じて、猫のように俺の手にすり合わせた。
「マスター」
 甘えるような動作だと思ったが、まさしく甘えているので言い間違いではないだろう。起こした俺の上体に抱きつく子供はとても軽い。埃っぽさにまじって少しばかり甘い香りがした。
「がんばったな」
「はい」
「明日は帰ったら何がほしい」
「なにもいりません。でも、マスターと一緒にいたいです」
 胸にしなだれかかる子供はいつもそれだけを望む。そうか、と俺は呟くように答え、髪の毛を梳いた。白い手がシャツを握りしめる。母親に愛情を求める子供と言うよりは、恋人に甘える女によく似ていた。まだ十歳にもならない子供だが、確かに女なのだろう。背中に手を回すと、浮いた背骨の細さにただ単純に驚きを覚える。
 この子供はとても優秀だと説いた販売人を思い出した。何をもって優秀とするかは人によって定義は異なるが、少なくとも俺にとって、この子供を選ぶことは最良の選択肢と言えた。暗殺者としての能力に優れているだけではない。この子供は俺を裏切ることはない。
 人を殺すことで乱れた精神バランスを、元の状態に戻すために子供たちは教育を受ける。そして自分に合ったバランスの取り方を学ぶ。俺にすがる子供にとって、バランスの取り方は自分の主に恋をすることだった。ある種盲目的な恋だ。生まれた時からその人のためだけに存在するのだと信じ込み、自らを鍛え、そして出会った主に心の底からの信頼と愛情と忠誠を向ける。運が良い、とも販売人は言った。それは、俺にとって運が良かったのか、子供にとって運が良かったのかは分からない。あるいは販売人にとって運が良かったのかもしれない。今では真実なんぞ知ることは出来ないが。
 ただ一人、自分の主に恋をする子供が、その主を裏切るようなことはない。つくづく、愛情とは恐ろしいものだ。それを利用している俺が言うのも的外れな気がするが、あいにくそれに痛むような良心の持ち合わせはない。それを知ってなお、子供は俺に笑顔を向ける。恋をしているのだと、全身で訴えかける。


 やけに静かだと思って目線を下に向ければ、子供はうとうとと瞼を降ろしつつあった。それでも俺の視線に気付くと、眠たげな目のまま微笑んだ。
 頭をもう一度、軽く撫でる。
「寝るか」
「はい」
 よりいっそう強くシャツを掴んだので、離すな、ということなのだろう。子供を抱えたまま眠るのは別に良いが、うっかり寝返りを打って押しつぶしたりはしないだろうかと不安になった。
 子供は俺の不安などきっと知らないのだろう。緑の目を閉じ、年相応の寝顔で腕の中に収まっていた。
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