紙は意外と鋭い。うっかり紙の端に滑らせた指先に赤い線が滲んだかと思うと、そこからぷつりと小さな血の玉ができてあっと言う間に崩れた。指を血が這っていく。私は慌てて手にしていた本を離れたところに置き、あたふたとティッシュを探した。カウンターの下に放置されていたティッシュをなんとか一枚取り出して、指先に押しつける。あまり痛くはないが、熱を持っているような気がする。
更にカウンターの下を漁ると、小さな救急箱があった。中から絆創膏を取り出して、慎重にフィルムを剥がす。ティッシュを交換してもう一度押さえ、血が止まり始めたのを確認してから絆創膏を貼った。
この古書店で働くようになって結構経つが、未だに紙で指を切るのはよくやってしまう。不注意だと言われればそれまでだが、紙がまさかそんな危ない物だという認識はいまいち私の中に根を張っていないのだ。おかげで埃を被っていた店主の救急箱がよく役に立っている。
絆創膏の白いガーゼ部分に赤い液体がじわりと滲んでいくのを見ながら、私はそっと置いた本に手を伸ばす。私の指を切りつけた憎い文庫本は少し色褪せた背表紙をさらしていた。
「またやったのか」
呆れたような声で、少し離れた本棚を整理していた店主がため息をついた。中年と言うには若いが、青年と言うにはもうちょっと歳をとっている、長身の男だ。白いシャツに黒いスラックス、その上に黒いエプロンを身につけ片手に本を抱えている。目つきが悪い上に少しばかり前髪が長いので、人相は良くない。
「学習しないヤツだな」
「たぶん、本に嫌われてるんだと思います」
言い返すと鼻で笑われた。鋭い目が笑ったことで更に細くなる。きっと私は苦虫を噛み潰した顔をしているだろう。馬鹿にされていることは明らかだが、彼の言うことは正論なのでそれ以上は反論できない。仕方なく文庫本に値札を挟む作業を再開する。店主はいつの間にか高い踏み台を持ち出して、その一番上に腰掛けていた。
芥川という男が経営している古書店での仕事は、主に掃除とレジ打ち、本の値札付け、あとはせいぜい梱包だ。単なるアルバイトの私は持ち込まれる本の価値など分からない。それは店主の仕事で、彼は人々が持ってきた本を査定して買い、売る時の値段を決める。私はそれを聞いて紙に値段を書いて本に挟む。そして時々指を切る。
さすがにもう、絆創膏の血のしみは広がっていない。
「谷崎さん、その山片付けたらあっちの棚よろしく」
「はーい」
店内は入り口の横にカウンターがあり、その真っ正面は棚の代わりにただのテーブルが設置されている。テーブルは和本を置くための場所だ。私は国文学専攻でもなんでもないのでよく分からないのだが、和綴じの本はふつうの本のように縦に置いてはいけないらしい。おかげで一番下の和本を取るときは大変だ。上に置かれた和本達をいちいち取り下げて抜かなければいけない。
とはいっても私が主に掃除や整理をするのはふつうの単行本や文庫本の棚だ。それに関しては少しだけ安心する。和本の扱い方はよく分からない。百年以上の年月を経た紙を自分で汚したり破ったりして台無しにしてしまうと思うとぞっとする。単行本や文庫本も値段が高い物はよくあるが、それでも和本と比べるとこちらの方が扱いやすいイメージがある。
最後の一冊に値札を挟み終わると、私はカウンターから出て奥の棚に向かった。全集ばかりがずらりと並んだ棚だ。それが作者順、巻数順に並んでいるか確認しながら、取り出しやすいように手前に引いていく。がたがたと音がしたのは、おそらく店主が金属製の踏み台を動かしたからだろう。彼は踏み台に腰掛ける癖がある。
更にカウンターの下を漁ると、小さな救急箱があった。中から絆創膏を取り出して、慎重にフィルムを剥がす。ティッシュを交換してもう一度押さえ、血が止まり始めたのを確認してから絆創膏を貼った。
この古書店で働くようになって結構経つが、未だに紙で指を切るのはよくやってしまう。不注意だと言われればそれまでだが、紙がまさかそんな危ない物だという認識はいまいち私の中に根を張っていないのだ。おかげで埃を被っていた店主の救急箱がよく役に立っている。
絆創膏の白いガーゼ部分に赤い液体がじわりと滲んでいくのを見ながら、私はそっと置いた本に手を伸ばす。私の指を切りつけた憎い文庫本は少し色褪せた背表紙をさらしていた。
「またやったのか」
呆れたような声で、少し離れた本棚を整理していた店主がため息をついた。中年と言うには若いが、青年と言うにはもうちょっと歳をとっている、長身の男だ。白いシャツに黒いスラックス、その上に黒いエプロンを身につけ片手に本を抱えている。目つきが悪い上に少しばかり前髪が長いので、人相は良くない。
「学習しないヤツだな」
「たぶん、本に嫌われてるんだと思います」
言い返すと鼻で笑われた。鋭い目が笑ったことで更に細くなる。きっと私は苦虫を噛み潰した顔をしているだろう。馬鹿にされていることは明らかだが、彼の言うことは正論なのでそれ以上は反論できない。仕方なく文庫本に値札を挟む作業を再開する。店主はいつの間にか高い踏み台を持ち出して、その一番上に腰掛けていた。
芥川という男が経営している古書店での仕事は、主に掃除とレジ打ち、本の値札付け、あとはせいぜい梱包だ。単なるアルバイトの私は持ち込まれる本の価値など分からない。それは店主の仕事で、彼は人々が持ってきた本を査定して買い、売る時の値段を決める。私はそれを聞いて紙に値段を書いて本に挟む。そして時々指を切る。
さすがにもう、絆創膏の血のしみは広がっていない。
「谷崎さん、その山片付けたらあっちの棚よろしく」
「はーい」
店内は入り口の横にカウンターがあり、その真っ正面は棚の代わりにただのテーブルが設置されている。テーブルは和本を置くための場所だ。私は国文学専攻でもなんでもないのでよく分からないのだが、和綴じの本はふつうの本のように縦に置いてはいけないらしい。おかげで一番下の和本を取るときは大変だ。上に置かれた和本達をいちいち取り下げて抜かなければいけない。
とはいっても私が主に掃除や整理をするのはふつうの単行本や文庫本の棚だ。それに関しては少しだけ安心する。和本の扱い方はよく分からない。百年以上の年月を経た紙を自分で汚したり破ったりして台無しにしてしまうと思うとぞっとする。単行本や文庫本も値段が高い物はよくあるが、それでも和本と比べるとこちらの方が扱いやすいイメージがある。
最後の一冊に値札を挟み終わると、私はカウンターから出て奥の棚に向かった。全集ばかりがずらりと並んだ棚だ。それが作者順、巻数順に並んでいるか確認しながら、取り出しやすいように手前に引いていく。がたがたと音がしたのは、おそらく店主が金属製の踏み台を動かしたからだろう。彼は踏み台に腰掛ける癖がある。
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