暖かな日差しが降り注ぐ、窓辺が好きだ。フローリングの固さも嫌いじゃない。けれど開いた窓から入り込む空気が汚れているのは頂けない。昼寝をするなら、カーテンを開いた窓辺でフローリングに寝転がるのが良い。
うとうとと昼寝から目覚めると、外は夕焼けの色に近付いていた。何度か目をこすり体を起こした。眠る前までわたしにちょうど当たっていた日差しはだいぶずれていた。体の半分が温かく、もう半分は影でひんやりしている。高い天井を見上げると、そこではシーリングファンがゆるやかに回っていた。灰色のコンクリートで囲まれた部屋は無機質だけれど、大きくとられた窓から入り込む日差しでとても明るい。
収集家はわたしの後ろの、黒いソファーにいた。
「おはよう」
といっても夕方だがな、とからかうでもなく収集家は言った。軋む体をほぐして立ち上がる。裸足で歩くフローリングは冷たい。
ソファーの後ろに回って収集家を背中からのぞき込む。彼は今日も、よく分からない古書を開いていた。
うとうとと昼寝から目覚めると、外は夕焼けの色に近付いていた。何度か目をこすり体を起こした。眠る前までわたしにちょうど当たっていた日差しはだいぶずれていた。体の半分が温かく、もう半分は影でひんやりしている。高い天井を見上げると、そこではシーリングファンがゆるやかに回っていた。灰色のコンクリートで囲まれた部屋は無機質だけれど、大きくとられた窓から入り込む日差しでとても明るい。
収集家はわたしの後ろの、黒いソファーにいた。
「おはよう」
といっても夕方だがな、とからかうでもなく収集家は言った。軋む体をほぐして立ち上がる。裸足で歩くフローリングは冷たい。
ソファーの後ろに回って収集家を背中からのぞき込む。彼は今日も、よく分からない古書を開いていた。
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コンビニのビニール袋の中で、三本のマニキュアと缶ジュースが音をたてて触れ合った。額に滲んだ汗を同じく汗の滲んだ手の甲で拭う。長い坂を黒いローファーでひたすら歩いていく。坂を上り、下り、目的地は近いようで遠い。
慣れ親しんだ潮の香りが今は疎ましかった。頭上では強烈な日差しを提供する太陽が隠れもせず堂々とし、右側を向くと青い海が広がっている。濃い海の匂いが暑さと相まって、体から力を奪っていく。あつい、と呻いてブラウスの胸元を扇いでも、生ぬるい空気が体を撫でるだけだった。ボタンを一個外し、袖を更に捲った。
無言で坂を上り、その勢いで下っていく。海が近くなる。灰色のコンクリートブロックを行儀悪くよじ登り、砂浜に降り立った。顔なじみの小学生達が楽しげに海に入って遊んでいる。掛けられる声に応えながらローファーと靴下を脱ぎ、両手に持った。
「今日もあそこ行くの?」
小学生の一人が指さしたのは、砂浜で繋がった、離れ島だった。
「そうだよ」
「あー、あのお兄さん」
「今日もいるよー」
「ありがと」
目的の人は今日も離れ島にいるようだ。小学生達に手を振って、裸足で砂浜を歩く。満潮時には消えてしまう、離れ島への道を行く。
コンビニに売られた一つ三百円程度の安っぽいマニキュアを、少しずつ買い溜めていく。自分の部屋の勉強机に置かれたマニキュアは値段相応に安っぽく、それが自分にはよく似合っているようにも思えた。今日新しく買った三色を見栄え良く並べようと手に取った。深い青、クリームソーダに似た緑、電球のような黄色。
慣れ親しんだ潮の香りが今は疎ましかった。頭上では強烈な日差しを提供する太陽が隠れもせず堂々とし、右側を向くと青い海が広がっている。濃い海の匂いが暑さと相まって、体から力を奪っていく。あつい、と呻いてブラウスの胸元を扇いでも、生ぬるい空気が体を撫でるだけだった。ボタンを一個外し、袖を更に捲った。
無言で坂を上り、その勢いで下っていく。海が近くなる。灰色のコンクリートブロックを行儀悪くよじ登り、砂浜に降り立った。顔なじみの小学生達が楽しげに海に入って遊んでいる。掛けられる声に応えながらローファーと靴下を脱ぎ、両手に持った。
「今日もあそこ行くの?」
小学生の一人が指さしたのは、砂浜で繋がった、離れ島だった。
「そうだよ」
「あー、あのお兄さん」
「今日もいるよー」
「ありがと」
目的の人は今日も離れ島にいるようだ。小学生達に手を振って、裸足で砂浜を歩く。満潮時には消えてしまう、離れ島への道を行く。
コンビニに売られた一つ三百円程度の安っぽいマニキュアを、少しずつ買い溜めていく。自分の部屋の勉強机に置かれたマニキュアは値段相応に安っぽく、それが自分にはよく似合っているようにも思えた。今日新しく買った三色を見栄え良く並べようと手に取った。深い青、クリームソーダに似た緑、電球のような黄色。
・ゴーストライター
携帯電話を煩わしげに見やり、失礼、と一言耳に当てた。顔を羽住とは逆方向に背ける。羽住もまた逆に顔を向け、電話を聞かない姿勢を作る。久賀の横にいたはずの八千代さんが羽住の目線の先に移動してきた。彼女もまた、久賀の電話を聞かないようにしているような気がした。
不機嫌そうな声の後、彼は立ち上がった。
「仕事が入ったので、これで失礼する」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「ところで、久賀さんはどんな仕事を?」
何も知らないふりをして、それとなく聞いてみる。久賀はいつものように無表情だった。
「秘密だ」
携帯電話を煩わしげに見やり、失礼、と一言耳に当てた。顔を羽住とは逆方向に背ける。羽住もまた逆に顔を向け、電話を聞かない姿勢を作る。久賀の横にいたはずの八千代さんが羽住の目線の先に移動してきた。彼女もまた、久賀の電話を聞かないようにしているような気がした。
不機嫌そうな声の後、彼は立ち上がった。
「仕事が入ったので、これで失礼する」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「ところで、久賀さんはどんな仕事を?」
何も知らないふりをして、それとなく聞いてみる。久賀はいつものように無表情だった。
「秘密だ」
いわく、彼に手に入れられない物など存在しない。
「例えば人魚の肉、というよく分からない何かも、私は手に入れることが出来る」
収集家は今日も安楽椅子に体を預け、退屈そうにしていた。その目の前にはアンデルセンの人魚姫。その辺りの本屋で私が買って来た、安っぽい絵本だ。
「さて夏野。彼女は人魚の肉を得て、一体どうするつもりなのかな?」
数時間前、この収集家の前で頭を下げた女性を思い出す。人魚の肉が欲しいのだと訴えた女性に、彼はにっこり笑って応えた。分かりました、必ず手に入れてみせましょう――
「食べる、とか」
「そうだろうそうだろう。人魚とはいえしょせんサカナ。肉が欲しいのならば食べるのが目的だろうよ」
「でも、どうして食べるんでしょうか」
私のもっともな質問に、収集家は呆れたような表情を見せた。それでも私の問いには答えてくれるのだから、彼もお人好しなのかもしれない。
「それはな夏野、人魚の肉を食べると、不老不死になるという伝説があるからだ」
だが忘れてはいけないよ、と彼は言う。存在し得ない物さえ手に入れてしまう、収集家は嗤う。
「そんなものを食べて本当に不老不死になれるのならば、とっくの昔に皆人間を辞めているのさ」
「例えば人魚の肉、というよく分からない何かも、私は手に入れることが出来る」
収集家は今日も安楽椅子に体を預け、退屈そうにしていた。その目の前にはアンデルセンの人魚姫。その辺りの本屋で私が買って来た、安っぽい絵本だ。
「さて夏野。彼女は人魚の肉を得て、一体どうするつもりなのかな?」
数時間前、この収集家の前で頭を下げた女性を思い出す。人魚の肉が欲しいのだと訴えた女性に、彼はにっこり笑って応えた。分かりました、必ず手に入れてみせましょう――
「食べる、とか」
「そうだろうそうだろう。人魚とはいえしょせんサカナ。肉が欲しいのならば食べるのが目的だろうよ」
「でも、どうして食べるんでしょうか」
私のもっともな質問に、収集家は呆れたような表情を見せた。それでも私の問いには答えてくれるのだから、彼もお人好しなのかもしれない。
「それはな夏野、人魚の肉を食べると、不老不死になるという伝説があるからだ」
だが忘れてはいけないよ、と彼は言う。存在し得ない物さえ手に入れてしまう、収集家は嗤う。
「そんなものを食べて本当に不老不死になれるのならば、とっくの昔に皆人間を辞めているのさ」
色素の薄いボブショートの髪、灰色がかった青い目、細い首。薄く開いた唇からのぞいた白い歯や、しみの無い肌。これがわたしという人間だと認識するのに時間がかかった。これはわたし。わたし。フロウと言う名の、記憶のない人間。
タイル張りの浴室の、鏡の前に立ち尽くす。体に合わないシャツを着た少女がわたし。何度も何度も確認する。わたしの名前はフロウ。わたしに記憶は、無い。
裸足で浴室から出ると、ソファーに寝転がった男がいた。わたしに気付いて気怠げに体を起こし、てっぺんからつまさきまで見て、またソファーに体を埋めた。その向かい側のソファーに座って膝を抱えた。同じように、つまさきからてっぺんまで見つめてみる。
「……どうした」
いぶかしげに聞かれたので、なんでもないと首を横に振った。彼は不思議そうな目をしていたけれどそれより眠気が勝ったらしかった。彼はそのまま瞼を閉じて眠ってしまった。
わたしは彼の本当の名前を知らない。ただ、レリックと呼んでいる。
タイル張りの浴室の、鏡の前に立ち尽くす。体に合わないシャツを着た少女がわたし。何度も何度も確認する。わたしの名前はフロウ。わたしに記憶は、無い。
裸足で浴室から出ると、ソファーに寝転がった男がいた。わたしに気付いて気怠げに体を起こし、てっぺんからつまさきまで見て、またソファーに体を埋めた。その向かい側のソファーに座って膝を抱えた。同じように、つまさきからてっぺんまで見つめてみる。
「……どうした」
いぶかしげに聞かれたので、なんでもないと首を横に振った。彼は不思議そうな目をしていたけれどそれより眠気が勝ったらしかった。彼はそのまま瞼を閉じて眠ってしまった。
わたしは彼の本当の名前を知らない。ただ、レリックと呼んでいる。