ふよふよと目の前を魚が泳いでいる。
それは真っ白な魚だった。成長した金魚ほどの大きさで、鱗がなだらかに光を反射している。見たことのない魚だ。それは黒い瞳でもって夏野を見ていた。夏野と向かい合うように、空中に浮いていた。
「あ、夏野さん」
虫取り網を片手に持ったゼンが、店の奥から顔を出した。
「すいません、今、掃除中で」
「いや、僕こそすいません。じゃあ後で出直して」
「いえ、大丈夫、です。別に人がいても平気なので」
魚はすい、と方向転換して、ゼンの方へと行った。ゼンの周りには魚が何匹か浮いていた。白い魚が二匹、灰色が一匹、黒が一匹。そして白から灰色へ移り変わるような色合いの魚が三匹。それらはゼンにじゃれるように彼の周りを泳いでいる。
目を閉じ、深呼吸を二回した。もう一度目を開けると、そこには魚の影などなく、ただ虫取り網をひょい、と振る少年がいるだけだった。
「見えました?」
「魚が何匹か」
「すいません。時々、見えるみたいなんです。たぶん、おれの影響かな」
小さく首を傾げたゼンの横で灰色の影が躍ったのが一瞬だけ見えた。幻か何かのような曖昧さでそれはすぐに消える。見えそうで見えないのは、本来は見えるはずのない魚だ。ゼンのような不思議な目を持っている人間以外には見えないという魚は、しかしどういう訳か夏野の目にも時々映る。ゼンの影響らしい。
それは真っ白な魚だった。成長した金魚ほどの大きさで、鱗がなだらかに光を反射している。見たことのない魚だ。それは黒い瞳でもって夏野を見ていた。夏野と向かい合うように、空中に浮いていた。
「あ、夏野さん」
虫取り網を片手に持ったゼンが、店の奥から顔を出した。
「すいません、今、掃除中で」
「いや、僕こそすいません。じゃあ後で出直して」
「いえ、大丈夫、です。別に人がいても平気なので」
魚はすい、と方向転換して、ゼンの方へと行った。ゼンの周りには魚が何匹か浮いていた。白い魚が二匹、灰色が一匹、黒が一匹。そして白から灰色へ移り変わるような色合いの魚が三匹。それらはゼンにじゃれるように彼の周りを泳いでいる。
目を閉じ、深呼吸を二回した。もう一度目を開けると、そこには魚の影などなく、ただ虫取り網をひょい、と振る少年がいるだけだった。
「見えました?」
「魚が何匹か」
「すいません。時々、見えるみたいなんです。たぶん、おれの影響かな」
小さく首を傾げたゼンの横で灰色の影が躍ったのが一瞬だけ見えた。幻か何かのような曖昧さでそれはすぐに消える。見えそうで見えないのは、本来は見えるはずのない魚だ。ゼンのような不思議な目を持っている人間以外には見えないという魚は、しかしどういう訳か夏野の目にも時々映る。ゼンの影響らしい。
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眼鏡をつけた。ぼやけた視界がクリアになる。
「どーお?」
「あー、うん」
見える見える。四角いフレームの向こう側を浮かぶ半透明のよくわからないふわふわとした、クラゲのような何かがよく見える。
「だめだねーこりゃ」
視力のことと思っているのだろう、母は慰めるような口調で言った。
「来週にでも眼鏡屋さん行こうか。それともコンタクトレンズにする?」
「うーん」
眼鏡を外す。とたん、半透明の何かは更に透明になり、ほとんど見えなくなった、ぼやけた視界は相変わらずだ。
「うーん、とりあえずいいや」
「あんたそれで大丈夫なの」
「だいじょぶだいじょぶ。今日だってそんなに困ったりしなかったし」
それに半透明の何かが見えるようになるのはお断りだ。
「どーお?」
「あー、うん」
見える見える。四角いフレームの向こう側を浮かぶ半透明のよくわからないふわふわとした、クラゲのような何かがよく見える。
「だめだねーこりゃ」
視力のことと思っているのだろう、母は慰めるような口調で言った。
「来週にでも眼鏡屋さん行こうか。それともコンタクトレンズにする?」
「うーん」
眼鏡を外す。とたん、半透明の何かは更に透明になり、ほとんど見えなくなった、ぼやけた視界は相変わらずだ。
「うーん、とりあえずいいや」
「あんたそれで大丈夫なの」
「だいじょぶだいじょぶ。今日だってそんなに困ったりしなかったし」
それに半透明の何かが見えるようになるのはお断りだ。
メルヘンティックなら変人キャラクターを使えそうな気がする。
・スバル(サイカワ・スバル)
犀川昴。目玉好き。グラスアイ収集家。あるいはグラスアイ制作者。目玉が好き。理想としている目がある。あの目に勝る者はない。
・???名前未定
スバルが理想としている目。幼少時に視力を失い盲目。ただし耳が素晴らしく良い。基本的に目を閉じて生活している。開けると焦点が定まらず、その顔の醜さを自分自身が嫌っている。春琴抄の春琴のような、目が見えずとも美しい人。凛としている。声楽家とかどうだろう。あるいはピアニスト。スバルが生活の援助をしている。あれこれなんて春琴抄。
・山崎
美大生。コンクールで最優秀賞を易々とかっさらっていくような人。天才に近い。家族仲が悪い。薬師とルームシェア中。人の話をあまり聞かない。悪い意味でマイペース過ぎる。性格はそんなに暗くないし、黒くもない。マイペースなことを除けばふつうの人。裸婦画のモデルになってくれるような可愛い彼女募集中。でも薬師がいるから家に連れ込めない。
・薬師
山崎と高校からの付き合い。頭は良いけどいろいろ事情があって喫茶店店員に就職。料理がうまい。お菓子作りが得意。本人そんなに甘い物好きじゃない。山崎とルームシェアしてるけどたいていの家事は薬師が担当。別に彼女連れ込んで良いんだよ! 敬語。俺。敬語を使わないと口が悪い。
・スバル(サイカワ・スバル)
犀川昴。目玉好き。グラスアイ収集家。あるいはグラスアイ制作者。目玉が好き。理想としている目がある。あの目に勝る者はない。
・???名前未定
スバルが理想としている目。幼少時に視力を失い盲目。ただし耳が素晴らしく良い。基本的に目を閉じて生活している。開けると焦点が定まらず、その顔の醜さを自分自身が嫌っている。春琴抄の春琴のような、目が見えずとも美しい人。凛としている。声楽家とかどうだろう。あるいはピアニスト。スバルが生活の援助をしている。あれこれなんて春琴抄。
・山崎
美大生。コンクールで最優秀賞を易々とかっさらっていくような人。天才に近い。家族仲が悪い。薬師とルームシェア中。人の話をあまり聞かない。悪い意味でマイペース過ぎる。性格はそんなに暗くないし、黒くもない。マイペースなことを除けばふつうの人。裸婦画のモデルになってくれるような可愛い彼女募集中。でも薬師がいるから家に連れ込めない。
・薬師
山崎と高校からの付き合い。頭は良いけどいろいろ事情があって喫茶店店員に就職。料理がうまい。お菓子作りが得意。本人そんなに甘い物好きじゃない。山崎とルームシェアしてるけどたいていの家事は薬師が担当。別に彼女連れ込んで良いんだよ! 敬語。俺。敬語を使わないと口が悪い。
世の中の小学生、中学生は夏休みに入っているらしい。声高に叫び走っていく子供達とすれ違った。ほんの少しだけ振り返り、また前を向く。おそらく中学生だろう少年達は楽しげな後ろ姿をしていた。手にした老舗和菓子屋の袋を持ち直す。黒崎の知る中学生の少年は、おそらくすれ違った彼らと正反対のおとなしさで、店番をしているに違いない。
五木骨董店は表通りから横道にそれた、小道にひっそりと構えている。古びてはいるが綺麗に掃除された店の中にはいつも通り、雑多な物で溢れていた。冷房が効いた店には今はカウンターに少年が一人座っているだけだった。癖のない黒髪をショートカットにした少年は、おそらく本を読んでいたのだろう、顔を上げて黒崎を見た。いらっしゃいませ、と言おうとしたのだろう口が中途半端に開いたまま止まり、一瞬の空白を挟んで彼は言った。
「黒兄だ」
「おう」
ゼン、という名の五木家長男は、黒崎が持つ紙袋に気付いて目を輝かせた。店内を見渡したが、客も、いつもはいるはずの店の者も誰もいない。ゼンに聞くと、店主代理のギンコと九条は取引をしに行ってしまったらしい。
「リンは?」
「昼寝」
言われ、時計を見ると、確かに昼寝をしていてもおかしくない時間だった。だが、それならもう一人、ギンコの双子の妹がいるはずだが、首を傾げる黒崎から察したのだろう、
「カナ姉も、リンと一緒に昼寝」
「中学生に店を任せるってどうなんだ」
「仕方ないよ、カナ姉も昨日まで、課題とかいろいろやってたし」
「大学生は大変だな」
「中学生も大変だよ」
「店番が?」
「店番も」
紙袋から買ってきた和菓子を取り出すと、ゼンは無言で店の奥に消えた。そのまま黙って和菓子を並べ、終わったところで急須と湯飲みを持って帰ってきた。お茶を淹れに行っていたようだった。
夏に合わせた色とりどりの和菓子を、ゼンは楽しそうな目で見ていた。買って来たそれを分けるのは彼に任せ、黒崎はそっと店を眺める。相変わらず何に使うのか分からないものが並び、かと思えばそれなりの値打ちがありそうな掛け軸が飾られている。
一通り見終わってカウンターの奥に視線をやると、おかしなものが見えた。
「なあ、ゼン、それなに」
指さすとゼンが振り返り、それ、と表現したものを軽く見やった。彼は慣れているのだろう、ああ、と小さく声を上げた。
「金魚鉢」
「球体じゃないか」
「球体だよ」
「転ばないのか」
「うん」
「変なの」
「変だよね」
おれこれ食べたい、と、一通り分け終わったゼンが取り上げたのは、寒天を使った川底を思わせる菓子だった。
「あれ、黒兄とったヤツだろ」
「ん、ああ、祭で」
カウンターの下から紙を取り出して細かく裂き、ゼンはそれに一つ一つ名前を書いていった。ギン姉、カナ姉、九条兄、リン。そしてそれを、分けた和菓子に置いていく。リンに、と分けられたのは赤と黒の金魚の形をした羊羹が入った寒天だった。
「リン、あの金魚、すごく気に入ってるんだ」
「あら黒崎、来てたの」
寝起きでいまだはっきりと開かない目をこすり、カナギが奥からやってきた。カウンターに並んだ和菓子と湯飲み、それをほおばる二人を見て、苦笑した。
「リンが見たら怒るわね。どうして起こさなかったのって」
そういった後ろで、小さな子供のぱたぱたとした軽い足音が近付いていた。
五木骨董店は表通りから横道にそれた、小道にひっそりと構えている。古びてはいるが綺麗に掃除された店の中にはいつも通り、雑多な物で溢れていた。冷房が効いた店には今はカウンターに少年が一人座っているだけだった。癖のない黒髪をショートカットにした少年は、おそらく本を読んでいたのだろう、顔を上げて黒崎を見た。いらっしゃいませ、と言おうとしたのだろう口が中途半端に開いたまま止まり、一瞬の空白を挟んで彼は言った。
「黒兄だ」
「おう」
ゼン、という名の五木家長男は、黒崎が持つ紙袋に気付いて目を輝かせた。店内を見渡したが、客も、いつもはいるはずの店の者も誰もいない。ゼンに聞くと、店主代理のギンコと九条は取引をしに行ってしまったらしい。
「リンは?」
「昼寝」
言われ、時計を見ると、確かに昼寝をしていてもおかしくない時間だった。だが、それならもう一人、ギンコの双子の妹がいるはずだが、首を傾げる黒崎から察したのだろう、
「カナ姉も、リンと一緒に昼寝」
「中学生に店を任せるってどうなんだ」
「仕方ないよ、カナ姉も昨日まで、課題とかいろいろやってたし」
「大学生は大変だな」
「中学生も大変だよ」
「店番が?」
「店番も」
紙袋から買ってきた和菓子を取り出すと、ゼンは無言で店の奥に消えた。そのまま黙って和菓子を並べ、終わったところで急須と湯飲みを持って帰ってきた。お茶を淹れに行っていたようだった。
夏に合わせた色とりどりの和菓子を、ゼンは楽しそうな目で見ていた。買って来たそれを分けるのは彼に任せ、黒崎はそっと店を眺める。相変わらず何に使うのか分からないものが並び、かと思えばそれなりの値打ちがありそうな掛け軸が飾られている。
一通り見終わってカウンターの奥に視線をやると、おかしなものが見えた。
「なあ、ゼン、それなに」
指さすとゼンが振り返り、それ、と表現したものを軽く見やった。彼は慣れているのだろう、ああ、と小さく声を上げた。
「金魚鉢」
「球体じゃないか」
「球体だよ」
「転ばないのか」
「うん」
「変なの」
「変だよね」
おれこれ食べたい、と、一通り分け終わったゼンが取り上げたのは、寒天を使った川底を思わせる菓子だった。
「あれ、黒兄とったヤツだろ」
「ん、ああ、祭で」
カウンターの下から紙を取り出して細かく裂き、ゼンはそれに一つ一つ名前を書いていった。ギン姉、カナ姉、九条兄、リン。そしてそれを、分けた和菓子に置いていく。リンに、と分けられたのは赤と黒の金魚の形をした羊羹が入った寒天だった。
「リン、あの金魚、すごく気に入ってるんだ」
「あら黒崎、来てたの」
寝起きでいまだはっきりと開かない目をこすり、カナギが奥からやってきた。カウンターに並んだ和菓子と湯飲み、それをほおばる二人を見て、苦笑した。
「リンが見たら怒るわね。どうして起こさなかったのって」
そういった後ろで、小さな子供のぱたぱたとした軽い足音が近付いていた。
アイスピックで氷を削り、丸く形を作っていく作業がある。バーテンダーとしては習得しておくべきことの一つらしい。氷を素手で掴みそれをアイスピックで削る作業は、親指の付け根をよく怪我をする。
「……」
そして当然の如く、黒崎も刺した。
「…………」
働いている間に練習する時間はない。暇な午後、自室で練習している時だった。強く突き刺しはしなかったが、アイスピックは確かに骨張った皮膚に浅く刺さり、小さな穴を開けた。そこから赤い血が少しずつ浮かび上がり、血の玉がぷつり、と均衡を破って肌を滑り落ちていく。とろとろと流れ出す血の赤さに目を奪われたが、氷の冷たさと溶けて水となったそれが血に混ざり始めたところで視線を逸らした。
一瞬遅れて痛みが走った。氷を流し台に捨て、アイスピックも一緒に転がし、ティッシュを一枚とって傷口に当てた。血はすぐ止まった。
絆創膏を当てた。傷口は覆われて、見えなくなる。それでも残る痛みは不思議な物で、ぼんやりしながら黒崎は煙草を銜えた。
「ねえ、どうしたのそれ」
手を掴まれて絆創膏の上をそっとなぞられる。痛くはない。
「アイスピックで」
「刺したの」
「刺さった」
「馬鹿ね」
「練習してたんだ」
「何の?」
「氷。丸くするんだ」
「……」
そして当然の如く、黒崎も刺した。
「…………」
働いている間に練習する時間はない。暇な午後、自室で練習している時だった。強く突き刺しはしなかったが、アイスピックは確かに骨張った皮膚に浅く刺さり、小さな穴を開けた。そこから赤い血が少しずつ浮かび上がり、血の玉がぷつり、と均衡を破って肌を滑り落ちていく。とろとろと流れ出す血の赤さに目を奪われたが、氷の冷たさと溶けて水となったそれが血に混ざり始めたところで視線を逸らした。
一瞬遅れて痛みが走った。氷を流し台に捨て、アイスピックも一緒に転がし、ティッシュを一枚とって傷口に当てた。血はすぐ止まった。
絆創膏を当てた。傷口は覆われて、見えなくなる。それでも残る痛みは不思議な物で、ぼんやりしながら黒崎は煙草を銜えた。
「ねえ、どうしたのそれ」
手を掴まれて絆創膏の上をそっとなぞられる。痛くはない。
「アイスピックで」
「刺したの」
「刺さった」
「馬鹿ね」
「練習してたんだ」
「何の?」
「氷。丸くするんだ」